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2月28日 押入れから! 冬と春の空気の入替えのついでに
押入れの掃除をしたら、いろんな物がが出てきたよ。
(小さな人形、ミニドライバー、思い出ホチキス!!。)
ドクロ お多福 傘狸 招き猫 かえる 布袋 虚無僧 西行 寿老 黒猫 達磨
(勝運) (人気寄せ) (火災除) (商売繁盛)(縁起) (安産) (乗物酔) (腰痛) (頭痛) (幸福) (辛抱)
※おいらの指が太いので並べるの苦労したよ
ミニドライバー プラスとマイナス
このドライバーを使う「ネジ」ってどんなに小さい「ネジ」なの!! 見えへんがなあー。
(ちなみにこのドライバーは未使用です。)
長野冬季五輪 「ジャンプ形ホチキス」 マクドナルドの景品でもらいました。
(しっかり忘れてました。試用したら、まだ使えましたよ。)
ひとりごと 宇宙とは今もって解明されてない謎がたくさんある。
謎と云うよりも人が知りえない世界がある。
海底の世界も今もって解明されたいない謎がたくさんある。
謎と云うよりも人が踏み込めないだけである。
人間の心も今もって解明されたいない謎がたくさんある。
謎と云うよりも知らない方が尊き事である。
何でも見たがる、欲しがる、知りたがる、
人間の好奇心は実にやっかいだ。
我々人間は全能の神にあらず。
背伸びはやめよう。
自然のままが好い。
人類の文明進歩なんて未来破滅の序曲でしかない。
2月27日 なんの香り! 春の香り!!
朝からの快晴、微風につき我が家の自然換気を実施。なんの「香り!」かなー。
おいらは、匂い(香り)に関してはかなり一般人よりも、鼻が利きすぎるのダアー。
鼻が利くと云うのは、心地よい香りを人一倍楽しめる代わりに、
異臭も人一倍に嗅ぎ分ける特技なのでーす。
(この、へんな特技は得てして悲劇にも繋がる傾向にもあります。)
なんとも甘い香りだやー、近所をうろつくと「やっぱり」と心当たりがあったのである。
この時期にはこれしかないと思っとりましたー。
沈丁花
沈丁花によったら、香りがきつくて頭が痛くなり申した
やっぱり、「沈丁花」の強烈なる香りがおいらの鼻から脳を直撃したのである。
我が家では、おいらだけがいつも、人知れない「甘い誘惑」の体験者なのでーす。
「匂い・香り」に関してはたーくさん、四方山話がありますが、またの機会にします。
(( 匂いフェチ同好会でも創りますかね。(同じ悩みのある方々、大募集ダアー!!。)
2月24日 おふくろさん! 巷では、歌手:森進一の歌う「おふくろさん」って楽曲が、作詞家の著作権侵害で揉めてるねー。
楽曲は、作詞&作曲家の魂ですから、捻じ曲げてはダメだんべやなあー。
森進一も大人気ないよね、きちんと作詞家に礼を尽さないといけないじゃないの!!。
「おふろさん」って楽曲が、泣いています・・・・・・・・。
そこでおいらは、脈絡はありませんが、語呂合わせてきな安易な洒落ですんません、お「ふくろう」さん
アップしちゃいますネ。
近くの公園で見かけました。お「ふくろう」さんです。
(この「ふくろう」の顔の高さが地上2m、表情を写すのに背伸してやっと撮りました。)
下の、お「ふくろう」さん達は、なんとチェンソー(木を切る機械です。)で創られた姿です。
彫刻等ではありませんが、かなり緻密なパーツも好く出来てました ○印 でした。
チェンソー彫刻のデモンストレーション風景(このデモ、すごかったですよ。)上左の写真完成形です
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2月19日 梅満開 梅の花が満開になったよー
早咲きの桜が咲くはじめました。負けてはならじと「梅」さん達がこぞって花を満開にしました。
梅子姉さんと小梅さんのひそひそ話
梅子姉さん「早咲桜小さん達ってさー、ちゅいと気が早すぎるんじゃないのかしら。ウフフ・・・」って、・・・・・・・・
小梅さん「ほんとよねえ。まだ2月よ、あの方達の出番は4月からなのに、なに褪せてるのかしらねー。ウフ・・・」
梅子姉さん「ねえー、狂い咲くのもほどほどにして欲しいわね。だって2月はあたしたちが主役なのにねえー」
小梅さん「梅子姉さんったら、やだー、私の特注の「梅香水」付けすぎじゃないの!。」
梅子姉さん「あらー、やだー、小梅ちゃんたらー、殿方を誘うのはやっぱりこれよ・・あんたもつけなさいよ。ウフフ・・」
小梅さん「ウフフ・・・・・・。」
砧公園にて
2月18日 東京マラソン 2月18日(日曜日) 午前6時 気温10度 東京世田谷 早朝より雨(結構強い雨です。寒いです)
今日は、東京都内を30000人もの人々が走る「東京マラソン」の日です。
おいらは、参加はしないが晴れならば観戦に都庁からレースを追いかけようかと・・・考えてましたが・・。
早朝より「雨」模様、それも小雨より粒の大きい雨だれが、降り続いています。
そして、気温も10度と低いのです。
「いやー、雨かよー、さむいなー、風邪引きそうだなー、屋外観戦は厳しいなー」と、即断、雨中観戦を断念。
早朝はTV観戦と決め込みました。雨がやんだら、銀座・浅草あたりまで出かけようかと考えとります。
マラソン参加者は、冷たい雨にご注意くださいね。無理せず・あせらず・楽しいんでください。
朝から雨模様です。それと寒いです。いつもより自動車も少ないです。
2月15日 東京散策ストリートこぼれ話 東京散策ストリートの未掲載こぼれ話を小出しにしちゃうけんねえーーーーーー。
当時若者が圧倒的に支持していた「カリスマ的ミュージシャン」それは、
「尾崎豊」の追悼碑が渋谷駅のそばにあります。
渋谷駅の東側に「東邦生命ビル」・・現在は「渋谷クロスタワー」と改名してます。
階数は32階あり展望ラウンジには、さまざまな店があり、ナイトスポットには最適ですよー。
32階には、料理の鉄人:坂井シェフの店「ラ・ロシェル」だったかなー、窓側のテーブル席がお勧め。
東京タワーや六本木ヒルズなど夜景は最高だぜ~。
渋谷界隈も高いビルが多くなってきたが、数年前までは渋谷のノッポビルと言ったら「渋谷クロスタワー」なのだ。
いまは、40階ビルが出来たので1位の座から降りてます。
ここの名所を本日は紹介します。(本日の小出しねたですねんー。)
すでに故人となった「尾崎 豊」のお気に入りの場所が、今では名所になっています。
亡くなった当時は、献花やらラブレターがたくさん貼ってあり、ものすごい光景でしたよ。
最近では、一時の騒動もおさまり静かな名所になってます。
渋谷クロスタワー(32階) 車の上の「CROSS TOWER」って書いてある後ろのエントランスに「尾崎」の碑があるよ。
下の写真を見てください。
生前の尾崎豊 がここからの夕日を観るのが好きでよく通ったそうです。
壁いっぱいに寄せ書きがありました。
「 尾崎 豊 」のブロンズ盤の追悼碑
下は 歌碑とサイン
この場所から沈みよく夕日を見るのがすきだった。いまは亡き「尾崎 豊」の愛した風景
正面の40階のデカイビルが出来る前は、ほんとに沈みよく夕日で渋谷界隈が赤く染まり美しい風景でしたよ。
(以前は、正面の「セルリアンタワー40階」が今は夕日の邪魔者だあー:セルリアンタワーは最近新築したビルです。)
いま、生きていたら「尾崎 豊」はどんな歌を聞かせてくれるのかな・・・・・・・・・・・・・
2月12日 日向ぼっこ すでに街の至るとこでは梅がさき、桜まで咲いちゃうんだからね。
小春日和の装いだね。
河津桜が咲いてました。
温かな日差しをもとめて、ちょいと多摩川河川敷へいった。
思った以上に水の流れが速い多摩川でした。
丁度ここいらは(二子多摩川)多摩川の 中流域なのかな、
上流ほどごつごつとした景観ではないし、海岸近くほどまったりとしたくものでもない。
川岸の石ころは皆、丸みをおびています。
温かな日差しの中でいつの間にか寝入ってしまいました。
「川岸や 小春日和に 夢うつつ」 お粗末!
2月10日 なじみの店 昨日、三茶のなじみの居酒屋「八木ちゃん」へいった。
この店は、三茶しゃれなーど通り沿いの西武デパートのちょいと向かいの二階にある。
小さな看板を横目に、細い階段を上がると、すぐ左に目的の「八木ちゃん」がある。
正面に細長いカウンターが6mぐらいはあろうか、左にむいてテーブル席が1席と都合
15名ぐらいも入れば満員かなー、女将さんとマスターと二人で切り盛りしている。
品数は50品ぐらいはあろうか、和食をメインにお味も良し、価格もリーズナブルでリーマンには
うれしい限りの隠れ家である。
この店は、おいらが三茶に勤めていた、4年前に同僚とひたすら毎日酒場の開拓に
励んでいたころの、、飲みにいきたい店にて5本の指にはいるぐらいの
選りすぐりの店で(審査員はおいらと友人二人だがね。)三茶では一押しの店であーる。
その店が・・・・・・なんと2月9日(金曜日)にて閉店しちゃうんだって・・・・・・どーしてー!!
店の暖簾をくぐるなり、女将が泣きそうな顔で、いきなり「閉店」の話だもんねー。これには参ったよ。
女将が一通り話し終わると、こんどはマスター(ご主人)が出てきて、これもまた超寂しそうな顔してるんだよ。
おいらは、4年間のお付き合いだが、お店は10周年になる。
いろいろ聞いて要訳すると、
1.女将がどうしても子供がほしい。
2.店の切り盛りをしていては、子供を育てられない。
3.女将の年齢が30と少しいっていて、子作りにはぎりぎりの年齢にある。
4.ちょうど、この店舗の契約更新年であり、選択は二つに一つだとのこと。
(他にも、ありそうだがあまり深くは詮索しない方がいいよね。こんなときはひたすら聞き役でね。)
以上のことから、マスターはお店のオーナーよりも「女将の子供がほしい」方を選択したのだ。
いやーおいら、ただ聞いているだけで泣けてきたよ。マスターは偉いのー。(一国一城の主を捨てるのだよ)
マスターはこれから就職先を探すとの事である。
おいらも心で泣きながら、いつもの飲み仲間へ連絡、お店へ呼びつけ、昔話に花咲かせるひと時でありました。
話はつきねど、時は過ぎ去る。なんとも云われぬ空気が・・・・でも最後は、「みんな明るく笑おうよ」と、
笑顔でお店を後にする
ありがとう女将。いつ、いっても明るい笑顔忘れないよ。
ありがとうマスター。心のこもった美味しい手料理、美味かったよ。
さようなら、われ等が愛した
居酒屋「八木ちゃん」
数年後の復活を
祈らずにはいられないのだー。
2月5日 東京散策ストリート(1-5) 東京散策ストリート(1-5)
皇居外苑~有楽町編(渋谷~有楽町編の終点です。)
賑やかなオバハン軍団とドデカイ外人さん一行とは、ここでお別れとしようかなー。
皇居の二重橋にきびすを返して、外苑広場を日比谷公園へと向かう。
丁度、東京駅方面を正面に観ながら横切る道路を右に曲がる。左側に、
よく手入れされた松の間を縫うようにダラダラ行脚は続く。
(そろそろ我輩の丸太のような両足に疲労が蓄積ぎみ、足の裏が攣りそうだー。)
松の林を観ながら、外堀の城壁の間を通過、堀の水喪を見ながら外堀の横を走る道路をわたると・・。
「日比谷公園」に着いた。
この入り口は「祝門」と書いてある。この公園には多くの入り口があり、
この公園には、すべての入り口に名前がついているのだー。(何故なのかな!。)
日比谷公園は、古くは長州藩毛利家・加賀藩鍋島家などの上屋敷あとに、1903年(明治36年)に
ドイツ式庭園として開園されたそうです。
祝い門の住所表示です
祝い門から直ぐに、明治時代に公園に設置された「ガス灯」のひとつが、ひょうひょろと天に向かって
そそり立ち、明治時代の嘗ての栄華を思い起こさせてくれます。
ガス灯の位置から左右に、公園内の回遊道路があり右の方へ歩いてみた。
程なく左に小さな山へ続く曲がりくねった小道が現れた。
高さは3メートル位だろうか、ダラダラと小山へ歩を進めた。頂上らしきところへ・・・・・「なーにもないなー。」
小山の頂上から、なんか「塔」のようなものが20~30メートルぐらい先に見える。
「何なんだろう」と、小山を駆け降り謎の「塔」へ!。
高さは5メートル・土台は3メートル位だろうか、四角形の堅固な石の塔である。
上半分がくりぬいていて、大きな「西洋式の鐘」が吊下がっていた。
なんでこんな場所に「西洋式の鐘」が・・・謎であった。
高さは1.5メーター、横幅は1メートル位はあろうか
目線を下に移すと、「自由の鐘」と書かれた碑文板が土台に組み込まれていた。
自由の鐘塔全景
それでは概略を読むと
「昭和27年4月4日に米国より「すべての国とその住民に自由を告げる」事を意味する「自由の鐘」を
日本の新聞協会に寄付された。同年、この鐘を東京都へ寄贈して、東京都により同年10月に「自由の鐘塔」が
建立された。」との碑文である。(若干の略文あり)
我輩なんぞは、生まれたときからへそ曲がりな人間なんで、この「自由の鐘塔」なんかは、米国からの「自由」の
押し付けの様な気がしてならない。(昭和27年当時は、敗戦国として米国の占領下にあったのかなー。)
なんか、素直に「自由の鐘」を喜べない、「我輩は非国民的思想者」になっちゃうのかな。(米国のMPが怖いよー。)
すみませ~~~~ん。脱線してしまいましたでがんす。(反省・・・・・・。)
やっぱり、目の前にある「自由の鐘塔」に釈然としないのだが。
「まあーいいかあー時代は変わる」と心に言い聞かせるオヤジであった。
この公園は、よーく観渡すと実に花壇が多く、四季折々の花々を鑑賞できる様になっている。
「自由の鐘塔」を離れ、南の小道を公園の中央部へ歩を進めると、運動場の様な花園が現れた。
白っぽい花が咲いていたが、花の名前には詳しくないので、説明できません。・・・・「勉強不足でした。」
小さな周回路の周りをベンチが整然と並んでいて、老若男女が日差しの中で足を休めていた。
花園を通り抜け、大きな広場に出た。
大きな噴水が水を噴き上げ、風が回るたびに小さな霧粒が顔にかかり「うへー冷たいー」と叫ぶほど
水を高ーく噴き上げているのであーる。
噴水のおおきさに驚きだ。
ここの広場が公園では一番広いのかな!。ここにもベンチがならんでおり、いろんな人たちが、利用している。
親子ずれやカップル、老夫婦だろうか手には手袋、襟にはショールを巻き冬対策万全の容姿である。
遠くから「アフリカの太鼓」だと思うのだが、ポコボコと軽快なリズムが流れている。
公園内の小さな売店です。いろんな物がありました。
噴水の周りでは小さい子が霧状のシャワーの中へ、ゲラゲラと無邪気な笑い声で遊びこけている。
子供の親なんだろうか!、子供に向かってなにやら叫んでいるようだが、よく聞き取れない。
たぶん「そんなとこにいると濡れるから、早くやめなさい」とか、なんとか言っているのだと思うが定かではない。
我輩も日差しの当たるベンチを探し休憩とする。ちいさな売店により、あたたかな「甘酒」の缶を購入した。
タグを開くと冷たい空気に中に、ほんのりと甘い香りが漂い「ホッ」させる。中は熱いのでちびりちびりと
公園の雰囲気を眺めながら、小さな幸せを感じるひと時であった。(安上がりな人間なのだー。)
大きな噴水でーす。風が吹くと飛沫が飛んで来マース。
柔らかな日差しがなんとも気持ちが良い。時折吹き抜ける風が、「まだ冬なんだぞー」と落ち葉を舞い上げ
存在を鼓舞している。小半時ほどの休憩していたせいか身体も冷えてきたようだ。
飲み干した甘酒の缶を、横のゴミ箱へ投げ入れ、ベンチを後にする。
噴水の周りに群れる鳩一群を追い払い、有楽町の駅方面へ歩を進めよう。
日比谷門から公園をでると、
正面には日本国で一番格式が高い「帝国ホテル」がある。
世界中のゲストが集う小さな国際都市だ。伝統のおもてなしと最新の設備を併せもつ
ホテルだ。(1890年11月3日に開業した歴史ある、最上級のホテルです。)
「一度は泊まりたいホテルですー。」
日本国で最上級の「帝国ホテル東京」の全景 ホテル正面のロゴ
日本一のホテルを横目に、隣接するショーウィンドウをだらだらと眺め、高級な宝石や服飾品に目を奪われながら
宝塚劇場や日生劇場の演目に足を止めながら、夕闇迫る繁華街を有楽町駅に向かうのでありました。
有楽町ガード下は大人の憩いの場所。これから焼き鳥とお酒を一杯ね・・・・・・・・・・
完
渋谷駅前から~有楽町までの東京の一部を5回に分けて、切り取った散策でしたが、
今回のストリートはいつのまにか、「歴史の宝庫ストリート」的な散策に相成りました。
日常の生活では車や電車などで通り過ぎる場所も、ゆるりと歩くことにより、
いろいろな顔を持ち合わせている事に気づかせてくれます。
朝起きて、「なんか暇だなー」と思われたら、近所の散策でも行かれては如何でしょうか。
今までしらなかった街の顔が観られるかもよ・・・・・・!。
それでは、またねー:「東京散策ストリート2」只今取材活動中!!。 バイビー!
2月3日 東京散策ストリート(1-4) 東京散策ストリート(1-4)
桜田門~皇居編
桜田門と大きな櫓を抜けると広い皇居外苑が目の前に広がった。
いよいよ皇居だなー。
一般国民としては「天皇陛下」に、直にお会いすることはなかなか叶わないことであるが、
「天皇」の統制国家である「日本国民」として、感慨深いものがあります。
数千年もの間、一国家を統治しているのは日本の「天皇」だけである。
(BC:661年:第一代:神武天皇即位~1989年:第125代:今上天皇即位)
世界的な歴史学ににおいても、この天皇制度が延々と続いているいることは、
ものすごいことであるのだ。
そんなこんなで細かいことは又の機会にしないと、深みにはまって長話になるから切り上げる。
ともかく「天皇」とはすごい言葉なのであるに違いない。
皇居外苑といえば、以前は小砂利が引きつめていて、歩きにくいところであった。(古い記憶を出して来ました。)
いまは、一部だけ、舗装のような一筋の道がお堀端に連ねて、皇居外苑の各方角から二重橋へと繋がっていて、
訪れる観光客には、歩きやすいコースとなっていた。
桜田門内の堅固な櫓
元々はこの外苑の広場いったいは、江戸時代は西丸御下と呼ばれており、徳川家の重臣の屋敷が立ち並び、
いざ戦のときは、それぞれの屋敷が防御線となる仕組みだったようだ。
今の東京駅周辺を「丸の内」と呼んでいるが、
この地名は江戸時代の呼称を現在でも引き継いでいるとのことだ。
そういえば「銀座」、「鍛冶町」、「兜町」、「人形町」等々、江戸時代からの地名の名残りは数知れずってことですかな。
最近は、市町村合併とかなんとかで、訳のわからん町名を付けたのが氾濫しているね。(けしからんぞー歴史ある名前を
簡単に抹殺してしまう世の中、けしからんぞー・・怒り爆弾だーーーーーーーードッカーーーーン。)
皇居外苑のお堀を二重橋に向かい、小砂利の掻き分けるように造られた遊歩道をデカイ外国人の観光客と連れ立って
だらだら歩を進める。
ドデカイ外国人、アメリカ人らしきグループの狭間で、我輩は子供になったような威圧感を感じちゃうなー。
(こんなドデカイ人間と一緒に歩いてはいけな・・・・・気持ちが「ブルー」になちまうよ。・・・ぶつぶつ独り言)
二重橋を一望できる堀の淵に、記念写真屋が大きな声と手招きで呼び込みをしていた。
(かなり以前からここの写真屋さんは、観光客あいてに営業をしているとの事です。)
皇居外苑より:二重橋と伏見櫓風景
堀の向こうにある城壁を追いかけると「二重橋」が美しいシルエットで我輩を迎えてくれた。
二重橋の後方にはまばゆいばかりの白塗りの伏見櫓が姿を現している。
(一説によると、石田三成の居城であった伏見城の一部を移築したとも云われている。)
二重橋の大きな門には、皇宮警察の警備隊員が直立不動の姿勢で警備に当たっていた。
丁度警備の交代の時間帯になり、警備隊員の交代儀式を見ることができた。
この交代の儀式だが、なんだか機械仕掛けの人形が歩いているようで、少々可笑しい
と感じたのは我輩だけなのかなー!。周りの外人やオバハン達はどう感じたのかな!。
(しかし乍、なかなか見られない光景なのだ。ラッキーだったねー。)
二重橋:皇宮警察の警備交代風景
皇居はこの二重橋のほかに大手門から大奥やら江戸城が建っていた史跡のとこまで見られるとのことだ。
今回は、ここから日比谷公園を通って有楽町へこれから向かいますー。
本日はここで小休止といたします。次回は皇居外苑~有楽町編です。
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