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3月30日 クミコ エレガントで魅力的な歌手「クミコ」
先日、遅く帰宅した。なかなか寝付かれないときテレビのスイッチをオン。
音楽番組が流れていた。
そこに映し出された女性ボーカリスト。「なんとエレガントで優雅なんだ」その歌声に、瞬きもせず聞き入ってしまった。
その名は「クミコ」 本名:高橋久美子 ジャンルはシャンソン
活動の歴史は1978年頃からだからベテランの域にはいる。
知りませんでした、なんとやさしい歌声なのか。
歌い方は「クラッシクの歌い手」と間違えるような、燐としている立ち姿はなんとも云えぬ優雅さをかもし出していた。
発声方法なんだろうか、歌っているのだが!語りかけてくるのです。(文書表現の限界を感じます。)
音楽業界には演歌やポップスなどいろんな歌手がいる。
歌唱の美味さや力量感・表現力などでは圧倒的に「美空ひばり」さんが、心の中にいる。
美空ひばりの凄さとは、10年ほど前に遡るが、「川の流れのように」の曲を聴いた後に、即CDアルバム盤を購入。
12曲ぐらい新旧の曲が録音されていて、一曲毎に感動の嵐であった。(歌を聴いてふるえる感じって、なんか不思議であった。)
最近ではドリカムの吉田美和の歌唱力・表現力など「安心感」を視聴者に与えている一人ではなかろうか。
吉田美和の魅力は、ビブラート(振るえる)の強弱がゴスペル的な歌唱法を彷彿させ、歌の中へ引き込まれて
しまうのである。
それぞれの男女問わず個性的な歌い手がいますが、近年「心を揺さぶる」歌声に遭遇しておらず、
この、「クミコ」さんの歌声に、久しぶりに「酔う」、まあーいつも酒に呑まれ続けているわが身としては、
歌声で「酔う」ってこと。初めての感触である。 なんだか宝物を発見した様な心の震えを感じています。
クミコ、オフィシャルサイト( http://www.puerta-ds.com/kumiko/ )
こんな曲、こんな歌声です(視聴)( http://listen.jp/store/trackList_1107765.htm )
3月27日 東京散策ストリート(2-5) 東京散策ストリート(2-5)
四谷~新宿編 : 四谷三丁目界隈
四谷駅前から須賀町・左門町、三栄町・荒木町と路地裏を巡って、
表通りとは違う一面の発見もあり、大都会の一面を垣間見る事ができたかな!
さあー今回は、「四谷三丁目交差点」から、歩を進めますかね。
朝からの歩き出しには、少なかった車の往来も午後を回り、甲州街道を行き交う車の往来も多くなって来た。
交差点から四谷方面、甲州街道 新宿方面、甲州街道
見慣れた渋滞光景を横目に、東西南北に交差する北西角に東京消防庁の、「四谷消防署」と書かれた大きな建物がある。
「あー消防署ね」と何気なく素通りしようとしたが、「!・・・う・・んーん・・なんだ!。」
なんと、またまた発見「博物館」なる張り紙・・・その張り紙には
「消防博物館」
へエーって感じ。
「消防の博物館って消防車があるのかなー!」って興味虫が疼いて来たー、
それも嬉しいことに”無料”なんですよ。
(散策の心構え、「急がず、あわてず、浪費せず」とかなんとか云いながら歩いてます。”無料”は大歓迎だね。)
そんじゃあーお決まりの寄り道とあいなりまするかね~~~~~~~。
自動ドアを入り、受付嬢の待つカウンターへ、
「綺麗なおねーさんだあー ポオッ」。と胸の高鳴り今何処:意外とタイプかもと浮かれ気分!。(‘¥‘; 目が点に!
(どーも綺麗なおねえさんには、弱いタイプです。いつも小指の思い出で失敗多し。:反省しきりの我輩であった!。)
その綺麗なおねえさんに展示内容を聞くと、五つに折れたたんだB4サイズ位のパンフを渡され、
「地下1階から10階屋上まで、消防の歴史的資料満載ですので、お好きな所から拝観できまーす。」
とニッコリ笑顔に後押しされ、綺麗なおねえさんに心なしか未練を残しつつ・・・・・。
1階エントランスから地下へと拝観することとしよう。
1階エントランスには、
明治時代に活躍した「馬リき蒸気ポンプ車」がお出迎えである。
明治時代は、馬も活躍していたんだな、「仰天だぜー。」 動物は火を怖がるのでそんなに火事場の前までは、
寄せられないだろうな、はたしてどの程度役に立ったのかは疑問である。
馬と云えば、余談ですが・・・・・
昔、多摩川の近くに住んでいたとき、堤防沿いの競馬用厩舎で火事があり、何頭も国道に走り出したことがありました。
逃げ出した馬が興奮しているので、道路を行ったりきたり大騒ぎで何時間も捕まえられずにいたのを思い出しました。(余談大敵!)
地下1階は「消防自動車の変遷」である。
東京に初めて消防ポンプ車が導入されたのは、大正6年だそうだ。ここには大正6年当時から、
昭和初期までの名車6台が展示されてました。
どちらを向いても「赤・赤・赤」のオンパレード。目がチカチカしてきますね。
初期の梯子車の梯子は「木」が使われてます。 アーレンスーフォックス消防ポンプ自動車(これって輸入車かな!)
(木じゃ燃えちゃんじゃないのー!!。) (前の大きいボール型は何に使うか謎だ!)
展示の消防車に乗れますよー。(楽しかったね。)
スタッツ消防ポンプ車(これも輸入車かな!この消防車が一番かちょいいね)
すごいで~~~~ 消防ヘリコプターも浮かんるでよー
2階は四谷消防車の事務所でした。(日ごろからの安全のお勤め方々に「敬礼」だ。)
3階は「現代の消防」となっており、
最新の装備や消防安全ビデオや消防ゲームなど、大人でも遊べます。
ウインドーの中にある装備は、現在の装備で、消防署の前を通るとよく訓練しているとき見かけますね。
この上階の4階~7階までは
「消防の変遷」・「江戸の火消」・「資料室」などがあります。
江戸時代の町人火消し装束 武士の火消し装束 江戸火消しの纏(まとい)各種勢ぞろい
江戸時代は、長屋が多く一度火事になると、軒伝いに火が広がり大火事になっていたという。このころの火消しは現代の「水をかける方法」よりも、
家を壊し火が広がらないようにする方法を優先していたそうだ。
火消し達は、その日の風向きとか火の勢いや武家屋敷の位置関係などにより、
火元から少し離れた場所の屋根に上り、火事はここでくいとめる意思表示で「まとい」を振り回して、火事の拡散を止めていたそうだ。
ほんまー「へえー」して言葉しかでねーべやー。(「火事と喧嘩は江戸の華」ってよく考えたら、非常識極まりない言葉ですね。(~ヘ~))
10階の屋上には実物の「ヘリコプター」があり
操縦席に乗ることができます。
展示品まだまだ沢山ありましたが紹介し切れません。
興味ある方は一度お立ち寄りください。(決して消防署の回し者ではありません。あしからず。)
いやー「消防博物館」結構面白かったです。童心に帰ってしまった感じだな。消防の歴史やら、
小さなジオラマ(建物や人間の小さい模型のこと)が沢山ありましたよ。
江戸時代や現代の消火模様をリアルに配置してありましたがどれも小さく
写真にはよく写っておらず掲載ままならずでした残念。かなり精巧なジオラマ必見ものでしたがねー。
(未練たらたらだあー)
今回の散策は「消防博物館」だけで終わってしまいましたね。
紹介したい展示が沢山ありすぎて情報整理の分類に困惑してました。四谷三丁目界隈もこの後、散策したのですが、
「消防博物館」にまさる発見は見当たりませんでした。
しかし、新宿には何時になったらたどり着くやら、今回の散策は寄り道が仰山ありすぎやあ~~~~。
次回(2-6)何がでるやら!
3月21日 東京散策ストリート(2-4) 東京散策ストリート(2-4)
四谷~新宿編 :三栄町&四谷三丁目界隈
ようやく発見した「お岩稲荷」は、我輩にとって、「目から鱗」状態のサプライズでした。
「お岩」さんの真実、驚きが何気ない散策で発見できた。(なんとなく得した感じだ。)j
新鮮なる驚きが、またまたマニュアックな世界へ誘うのか!!。
さほど遠くはない。距離にして100メートル程歩くと、四谷三丁目交差点に到着。(甲州街道到着)
四方を見渡すと出発点の四谷駅周辺の町並みとさほど変化はない。
飲食店とオフィスが混在して、秩序のない雑踏風景を形成している。
さあーてどちらへ進もうかと思案中・・・・通りの反対側を散策することにした。
一度四谷駅まで戻りますかー
四ッ谷駅前から甲州街道を新宿に見て
今度は右側(北側の地域帯)の小さな通りを発見!。
いざ突撃ー、どうなることやら!。
裏通りを行くとアーケードが見えてきた。だんだんと近づく。
アーケードを見上げると
「しんみち通り」
と云われている路地である。
この小さな通りは、甲州街道から一つ奥に入った通りで、見た感じ100メートルぐらい続いているようだ。
ここの通りは飲食店が多く、特に我輩の好きなネオン瞬く繁華街であった。
駅に近い食堂近辺は、人々の往来も多く賑やかだが、 奥に入るにしたがい呑み屋風のネオンサインが多くなる。
昼間は酒屋とか卸業者が通るぐらいで、春の陽光はまぶしいのに、ここだけは薄暗くひっそりとしている。
古くからの繁華街なのだろう、シャッターを下ろしている店同士は、さほど広くない間口を寄せ合って、
夜の戸張がくるまでの安眠をむさぼっている。
通りの中でひと際目立つ頭上の看板を発見。
「うさぎの農園食堂」・・・ネーミングもかわいらしい居酒屋である。
(「食堂」って書いてあるも、メニューはどう観ても居酒屋系だ。)
※追伸:友人の話では、居酒屋ではなく「フレンチレストラン」との事でした。:3/27訂正(^^;
その看板はたたみ三畳はあろうか、
今時、全体をペンキで仕上げている大きな看板は珍しい。
ほんわか温もりを感じさせてくれるのも、なんだか気にいったねえー。
あまり立ち止まっていると、おまわりさんからの「職務質問」に巻き込まれるので、
ここは後ろ髪を引かれる思いで、頭上の大看板に別れを告げ、狭い路地に歩を進める。
しばらく歩くと繁華街から・・・・・・・、
住宅街へと変貌していく。電柱を見ると「三栄町」と書いてある金属製の帯巻きがあった。
甲州街道の大通りから一歩入っただけだが、騒音も気にならず落ち着いた雰囲気の路地が続く。
ちょいと大通りへ目をやると、仕切りなしに続く車の往来が、路地の隙間から垣間見え、
「通り」と「路地裏」などと呼ばれるそれぞれの「生活道」としての役割の違いを感じさせてくれる。
細い路地を挟み、小粋で風情のある黒塀があった、少し前のオールディーズの風景である。
(コンクリートやアルミ製の門塀とは一味もふた味も違う、温かみ・・・・・・・・・・
・・・・・またまた見つけた「温かみ」・・・・・・・いいねーこの「路地」。)
我輩が「ガキ」と呼ばれていたころは、
こんな路地が街中では、まさしく格好の遊び場だったs。「ガキ」と呼ばれていた時代。幼稚園児から中学生まで、
上から下までごちゃまぜで遊んでいたね。(人数も多かったからね。遊び場も沢山ありました。)
当時は必ず一つの広場に「ガキ大将」なる兄貴格がいたものだ。隣町の「ガキ」とよく喧嘩してたけど、
小さな子にはとても優しく、面倒も良くみていたねえー。楽しかった時代だね。
いまは少子化の影響なんでしょうかねー、
四谷駅から散策しているのだが、路地であそぶ子供の姿がないですね。時代の波間を感じますね。
しばらく静寂なる住宅街を徘徊すると、突然・・・路地の隙間からでっかくて・白い鉄塔が・・・
「何じゃこりゃー」松田勇作ではないが、なんじゃこりゃ的雰囲気で、ズドーンと目の前にあるのだあー。
路の真ん中で思案中「何の塔」・・・ちょうどこっちに向かい小走りにくる子供がいた。
すれ違いざまに子供をとめて「あれなーに」と指差す。、
子供「あ、あれは電波塔ですよ」と突然の変なオヤジに迷惑顔しながら答えてくれた。
(いました子供が!!。ごめんね驚かして、そしてありがとうね。
日本の未来は君の双肩に掛かっているのだ!。うぬ!!)
「電波塔ねえー」と独り言を繰り返す、位置関係からすると市ケ谷あたりに立っている・・・そうか!
「たぶん」であるが「市ケ谷の自衛隊駐屯地の電波塔」でないのかと推測する我輩であった!。
(なんとも我輩には、異様なる建造物に見えるのです。)
歩を進めると、案内看板が目に止まった。
それは「新宿歴史博物館」への案内であった。
興味シンシンだあー、なぜか「博物館」って文字に弱い我輩であーる。(行動パターン見えみえだね。)
案内看板から、70メートルほど北に進路を変更。そこは「新宿歴史博物館」である。
(ここの入り口に置いてある、「四谷見附橋の大正時代の欄干一部」は、(2-1)でも紹介・掲載しました。)
正面のロビーでは、受付嬢が待ち構えている「拝観料は!」、にっこりと「無料ですよ。」うれピー限りだね。
案内のパンフレットを受け取り、いざ鎌倉へ!!、(こんなとこで力んでどーすんの。)
ちょうど期間限定の展示があった。
「新宿の今昔物語」だったかなー、我輩のメモもいい加減である、
自分の書いた字を読めない時があるのです。(ま・いっかぁなあー)
まあーそんなタイトルですので、ご容赦のほど・・・・・・。
新宿の歴史:今昔 昭和20~30年代と現在のパネル写真 東京オリンピック:聖火リレー風景
壁に展示しているパネル版での今昔写真の写真を写真に撮る!(昔と現在と同じ場所・同じ構図で写した比較写真である。)
後で気がついたのだが、「パネル写真等の撮影はご縁了願います。」と、立案内に記載があたりして・・・。あれー!!
(どーも、すみませんでしたと一人反省会開催。)
新宿博物館を後にする。外はまだ肌寒く、時たま吹いてくる風が我首に巻きつき首をすくめる。
(首をすくめ肩を丸めて怪しい人物に変身か!:もともと怪しい行動の我輩であーる。)
さてと裏通りを回遊したところで、メインの甲州街道へ戻るとしよう。
博物館前から南へ伸びる通りは一直線で100メートルほどだろうか、甲州街道の大通りに出られるようだ。
甲州街道に戻る。先ほどの路地から一歩踏み出すと都会の騒音が我輩に襲い掛かってきた。
左は四谷、右に進路を変え歩を進めよう。
歩道脇の表示板に「荒木町」と書いてある。
少し行くと右側の細い通りを発見。
この通りも一見して、おじさんの友・・・呑み屋がひしめき合う通りであった。
この通りのお店群は木造が多く、古くから呑み助達に愛されてきた様子。風情があるねー。
なんとなく、夕方になると引き込まれそうな、粋な店構えが「いいねえー」。
夜ともなると、この通りぞいでの、男と女の悲喜こもごもの出会いと別れを見続けて来たのかなー。
なんとも哀愁漂う通りである。
曲がりくねった通りを一周ほどして、たどり着いたのは「四谷三丁目交差点」だ。
今回は表通りと一味違った「路地裏」の散策が中心で比較的地味なレポートであったが、
これも東京という新旧の変革に観る、瑠壺内の一ページであることに変わりはなく、
「表情の違う東京」の一部分でも、そこには「生活感」というキーワードを
随所に垣間見ることが出来た気がします。
本日はここで歩を休めることにしましょう。
東京散策ストリート(2-5):只今編集中につき 4月以降になる予定。 あでぃよーす~~~~。
3月18日 東京散策ストリート(2-3) 東京散策ストーリート(2-3)
四谷~新宿編 :(左門町から四谷三丁目)
迷子になったおかげで
「須賀神社」と「大国主命=大黒様」に御参りできて、よかったかもー。
須賀神社を後にして、またまた細い路地を曲がりくねって、キョロキョロと(ちょいと妖しい我輩であった。)
いくつか適当に路地を歩くも、「お岩稲荷」は未だ探し切れてない。
もう一度、通りへ出て確認するとしよう。
丁度でた大通りは、標識をみると「外苑東通り」と書いてあった。道路を挟んで左の向かいの方に「慶応病院」とあり
左はJR信濃町駅らしい、さーどっちに行くべきか!、再度通りがかりの人に「お岩稲荷」を聞くと、わからないと言う、
しかし新情報として「このさき三丁目の方向に交番ありますよ。」って、それじゃーとお礼の挨拶もそこそこに歩を進める。
歩き出して100メートルほどで、「!四谷警察署」って・・・・「交番じゃないじゃん」、まあーいいか。
場所がわかればと”藁にもすがる思い”って、こうゆう時に使う言葉かなーと思いつつ、
玄関前に立つ防犯のおまわりさんに「お岩稲荷ってどちらですか!。」と訪ねる。
おまわりさんは、「この先を・・・ふたつ曲がって・・・・真直ぐいって・・・お岩・・・二つあるよ。」って・・・我輩には、
とても覚え切れません。もう一度説明してと頼むと、おまわりさん「地図で教えますから、中入って。」と警察の中へ、
「そんなにー丁寧にされてもー」と思いつつ、我輩も警察の中へ。
先に入ったおまわりさん、すでに大きなゼンリン社の地図を広げて我輩の到着を待ち構えている。(恐縮です・・。)
地図を指差し「ここから・・・・・ですよ。分かりましたか!。」、「はい、分かりました。」と元気な声で返事をする。
親切なおまわりさんにお礼の挨拶をして いざ、「お岩稲荷へ」、
教わったばかりりの道順を一つ一つ確認しながら、「あったー」遠くに赤い旗が並んでいる。おまわりさんから
「目印は赤い旗」と聞いていたのです。おもわず嬉しくなったのは、何故なんでしょうかねー。
やっとのおもいで「お岩さん」みーつけた。
もっと大きなお稲荷様と想像していた我輩、細い路の正面からの見渡せる
「お岩稲荷」は畳、6畳ぐらいのお社であった。
「お岩さん」の名前は、四谷怪談があまりにも有名なものだから、さぞかし大きな稲荷様と早ガッテンしておりました。
敷地は間口7メートルぐらいだろうか、奥行きは12~3メートルぐらいかなー。意外と質素なものである。
下町を思わせる細い路地に隠れるようにありました。 お岩稲荷(正式には:田宮稲荷神社です。)この社は6畳ぐらいの広さで
通称「お岩さま」 以外と小さな社でした。敷地もさほど広くありません。
お岩稲荷=明治五年「田宮稲荷神社」と改称
ここで「お岩」さんに関するミニミニ情報を勉強しましょう。
「うらめしいぞへ、伊右衛門どの」、「ともに奈落へ」などと
背筋をぞくっとさせる祟りを怪談や歌舞伎でご存知であろう有名な場面である。
しかし・・・・・実は実は「お岩」さんは
良き妻で幸せな人生をまっとうしたのである。!
この地、四谷左門町で夫、田宮伊右衛門と仲睦まじく暮らし、
日ごりより屋敷先にあるお社を掃除したりお供え物を欠かさず大切にしていた、
信心深い良き妻であり、田宮家の富へ尽くしていたそうである。
こんな良妻賢母の様子が町中に広がり、
健気な一生を送った「貞女の鑑」として後に敷地内のお社を「お岩稲荷」として
庶民の信仰を集めていたのである。
「うそー」、「ほんとにー」である。正に「目から鱗」であります。
お岩さんの怪談ばなしは江戸の歌舞伎作家(四世鶴屋南北)なる人物が、
当時の江戸では怪奇な事件が頻繁に起こっていた背景を元に、
四谷界隈で評判の「お岩」の名前を用い、脚色して「東海道四谷怪談」として世に送り出した。
これが今でいう、大ヒット作品となり「お岩」さんの祟りが瞬く間に広がり、
事実とは大違いなる風説の流布:勘違い&間違いが現代になっても
祟りの「お岩」さんとして受けつながれているのだ。
これでは「お岩」さんも浮かばれませんよね!。誤った脚色も限度ってもんがあるでしょうに(怒り)
風説の流布があたかも現実のごとく、今の世に散在しているのは、「東海道四谷怪談」の作家である(四世鶴屋南北)を
「うらめしいぞー南北どのー」と呪ってもいいけどね。
でも、やさしい「お岩」さんの魂は、「まあーよく出来た読み物ねー」とか言っちゃて、いるのやらいないのやら・・・・・
意外と「お岩」さん、呑気で陽気な性格だったかもね。(^^)
お岩さまの掲載されてる新聞記事 実際の「お岩」さんは幸せに暮らしていたそうです。
お岩さんで有名な
「東海道四谷怪談」は、まったくの
作り話だったのだー。
くどいようだが、 「お岩」さんは、良妻賢母で幸せに暮らしてたのだ。
我輩も今回は、「東海道四谷怪談」でのお岩さん像を鵜呑みにしておりました。
お岩さん ごめんなさい。 祟っていないお岩さん想像してみようぞ、
庭先でくつろぐ田宮家の、ほのぼのしている家庭が見えてくるようです。
※お岩稲荷は二箇所あるのです。皆さんしっていましたかー これも サプライズの一つかもね。
ちなみに、狭い路地を挟み斜め向かいにも「お岩稲荷」があるのだ!。
そういえばやさしい、おまわりさんが「お岩稲荷さんは二つあるけど、どっちに行くの・・・」訳のわからん事を言うもんだなーと
不思議に思っていたのだが、もう一つ直ぐ傍に「お岩稲荷」なるお社がある~~~~ので~~~す!。
門に掲げている表札を見ると「御岩霊堂」と板状に掘り込まれていた。!!!!!!!!何でー。
門の横には派手な幟やらちょうちんが掲げてあり・・・・・なんじゃこりゃ・・・いみわかーんなーい状態だ。
境内にはいり能書を調べるも・・・・あまり参考となるものがありませんでした。謎が謎呼ぶ「御岩霊堂」です。
御岩霊堂=御岩稲荷と書いてあります!。ここにお墓があるのでしょうか!謎です。
四谷と云えば「お岩さん」。なんとか辿り着き、意外な事実を知りました。
お後がよろしい様で、今日はここまでです。
これから、甲州街道へ戻ります。 次回(2-4)よろしくネ 。(^^)
3月17日 東京散策ストリート(2-2) 東京散策ストリート(2-2)
四谷~新宿編 :(四谷界隈)
前回では、散策といっても四ッ谷駅と駅ビル内界隈をうろうろ、
てくてくしながら「四谷見附橋」に出たとこで終わってしまいました。
ストリートをまだ一歩も歩いていないのであった。
心を入れ替えて今回は散策ストリートしますよってなあー。
いざ、行かん エイエイほー!!
(サブちゃんじゃねーてばよー。ヘイヘイホーてっか。)
四谷見附橋から四方をぐるりと見渡すと、東に麹町、西に四谷と云う位置関係だ。東の麹町側に目をやると、
上智大学の白い大きな建物と教会らしき建物が飛び込んできた。
甲州街道と橋に連結するように大学の敷地があり、
道路を挟んで右側に「上智大学」。左側には、商業ビル群が列をなして続いている。
「上智大」といえば、カトリック大学としか浮かばないね。
(ごめんなさい大学関係者様、無学な我輩ですみません。)
四谷駅前の四谷交差点から「四谷見附橋」と麹町を望む。
写真右の白い建物が「上智大学」、尖ったものは教会のオブジェ
ちょいと気になるので「上智大学」ってどんな大学!。(調べてみました。)
「上智大学」(英称:Sophia Univesity) 1913年創立された私立大学です。
上智名はカトリック教会の祈りである、「聖マリアの連祷」のなかにある、
Sedes Sapientiae(上智の座)から名づけられたと
いわれてる。「ソフィア」の原義はギリシャ語の「知恵」で神の智督を示しています。
・・・・(大学資料より抜粋)・・・・・・
この大学で知っている事って、外人タレントや歌手などが通ってた「大学」程度の知識しかないからねー。
記憶の底から紐解くと・・・アグネス・チャン、西田ひかる、かな。 若い人では、クリスタル・ケイ、小林真央さん
なんかを知っているぐらいだ。
まんずー我輩には縁がねーって所だな。
さあー西の方に目を遣るとしよう。四谷交差点から南側に伸びる道は「迎賓館」や「神宮外苑」へと伸びる道です。
交差点の南西角にある有名なお店を発見・・・・・・!。
一時は日本で一番「とんかつ」が美味しい店として君臨していた
「とんかつ三金」のお店があります。
一時はと言ったが、現在でも日本で5本の指にランクされるほど
、とんかつ一筋50年の老舗名店です。
脂身がまろやかでしつこくない。米は新潟産の低農薬有機栽培米。揚げ油はドレッシングとしても
使える上質のものだから、衣はサクッと軽い。数種類のスパイスが入った特製ソースとの相性も抜群だ。
キャベツ、ご飯、しじみ汁はお替わり自由なんだね。
(お替わり自由ってゆうのが食いしん坊には「泣けちゃうねえ^~~~。」)
なんといってもこの名店で、 ランチが880円で食べられるのは嬉しい限り。
(お勧めの一押しの店です。)
通常は、ロースかつセット:1700円だからランチは、食べごろまんまだぜえー。
とんかつ三金の店舗前 美味そうなメニューが並ぶショーウィンドー とんかつ定食だよ~~ん。
さーてと、満腹になったかなー!。
そういえば・・・・・ 四谷と云えば超有名なのが「お岩さん」ですね。
さっそく「お岩稲荷」を探しましょう。
とんかつ「三金」を出て新宿方面へ歩を進める。広い歩道の左には飲食店が多く連なっていて時たまオフィイスらしい
入り口が点在してます。通りには昨年の駐車禁止条例によるのか、停車車は少なく車の流れは順調そのものである。
目的のお岩稲荷は、記憶では「左門町」だったと思うのだが、・・
・・・てくてくと5分ぐらい歩を進めるも「左門町」らしき標識は見当たらず、
通行人に尋ねると「知りませんねえー」、じゃあー次の人「地元じゃありませんので・・」足早に立ち去る・・・・・。
「地元の人っていないのかねー」と一人ぶつぶつと呪文を唱えるが、一向に地元民らしき人に当たらない・・・・どうなってんの!。
三度目の正直で、店舗前の花壇の手入れをしていた初老の女性にたずねてみた。
白髪交じりではあるが、髪の毛に艶があり服装もフレアスカートと上着が上品さをかもし出している。
春らしく薄ピンク色の服装をオシャレに着こなすご婦人であった。
我輩が尋ねるとにこにこ笑顔で、「そこの・・・・左に・・・・まっすぐ・・・ありますよ。」と身振り手振りで教えていただいた。
親切なるご婦人に一礼・感謝の言葉を伝え、歩を進める。(上品で愛想がいい人でよかったなあー。こうゆうの一期一会ってゆうのかな。)
先ほど聞いた道をなぞる、街道から左へ信濃町方面へ.
「お岩稲荷」、大通りから裏路地へ曲がり曲がり探して行くがすでに住宅街だよ・・・なかなか見つからない。
神社らしき屋根が見えてきたので、勇んで進んでみたら「須賀神社」と書いてある。
ちょいとがっくり、「ぜんぜん違うじゃないのー」とぶつぶつ又も呪文。「これって迷子」!。
「迷子の迷子の子猫ちゃん・・・我輩は猫ではなーい。漱石でもなーいのじゃーーー。」
(自虐的発言は危険信号、赤信号・・アニキー?。)
この「須賀神社」は四谷界隈の鎮守様であった。元々は寛永14年日本橋大伝馬町に稲荷神社として
造られ寛永20年今の「須賀神社」として当地へ移築されたようだ。
主祭神は「スサノウノミコト」と「ウカノミタマノミコト」舌を咬みそうな名前だよ。
合殿には、「ヤマトタケルノミコト」
末社には、「オオクニヌシノミコト」などが祀られている。
「大変失礼致しました。鎮守様」暴言・無知無学なる事お恥ずかしい限り。
そんなこんなで、とりあえず目の前の鳥居をくぐるとしよう。
鳥居から20mぐらい先に結構立派な拝殿が正面に身構えていた。
ちょいと左の端をみると「大国主命」と派手な看板らしきものが目に付いた。
「なんだなんだ」と興味シンシン、近くへ寄ると
、なんと身の丈2メートルぐらいはあろうか、
「大黒様」が鎮座しておるではないか、なんか迷子になって得した気分になってきた。
よく縁起物で縁日や骨董店で見かける20~30センチほどのサイズとはすう段に格が異なるのだ、ともかく多きいのだ。
お顔もふくよかでとっても好い。心がほんのり安らぐのを感じた。
派手な表札! ともかく遠くからでも目立ちます。
とっても大きい「大黒様」です。鎮座! 立っている姿は高さ2メートルぐらいあり、
いままで見た中では一番大きな「大黒様」なのでしたー。
「ううーん、ここに迷う混んだのではなく、大黒様のお導きなんだ。
にこやかに笑って、我輩に運を授けて下さるのだなー」と偶然じゃないんだ!、
必然なんだと、気持ちを入れ替えて散策にまい進するぞーオウー貞治?。
超、前向き思考に切り替わる。(勝手な奴だとお思いでしょうが、勝手な奴です。)
本殿と大黒様に御参りをすませ、目的の「お岩稲荷」はどこなのー このあたりなんだけどなー
はてさてこの先、我輩はどーなることやら・・・・・・・・・・・!。
本日はお後がよろしいようで、なかなか見つからない「お岩さん!」
只今取材進行中 次回 (2-3)よろしく
3月13日 東京散策ストリート(2-1) 東京散策ストリート(2-1)
四谷~新宿編 :(四谷駅と橋)
ひと月ぶりの登場。 さあー今回は、四谷駅前から新宿通り(国道20号線:甲州街道)沿いを、
よたよたと新宿駅に向かって散策しちゃいまーす。
本日の出発は四谷からです。
JR四谷駅、四谷と麹町の谷あいの駅。それが四谷駅です。
片側を大きな掘割壁が押し寄せて駅のホームが申し訳なさそうに細長く続いている駅です。
(総武線・中央線の走る外堀沿いの駅はほとんど掘割の下に線路が造られたので、どの駅をみても
片方を崖壁・片方を外堀や河川に挟まれ、間に造られた駅ホームは見るからに窮屈そうである。
江戸時代に外的からの防御線として大規模な外堀やら内堀やらと人工的に造らせた江戸城の主人である、
葵様は敵の進入に対しての慎重さが、計り知れない人物だったと改めて感じますよね。)
この窪地は、古くは江戸時代の外堀を埋め立てた跡地で、四谷駅ができたようだ。
また、JR駅のホーム傍には、南北線が寄り添うように走っているのだー。
四谷駅ホーム、後ろが外堀壁です。(狭いホームです。)
だいぶ前振りが、長くなってしまった。御免。(まあー何時ものことなので、あきらめてちょ。)
四谷駅の階段をてくてく上がって、改札口を出てから左に進む。さらに駅ビルの中を左に上がっていくと
花屋さんとパンやさんとコーヒー屋さんのある室内広場がありますが
コーヒーの香りに引き寄せられ・・・
「丁度いいや一休み」と温かいコーヒーを一杯頂くことにしよう。
(またここで足止め!散策話が進まないなー。まだ駅ビル内だ。)
きょうは春とはいえ、吹く風は少し冷たいのであーる。まずは暖をとる。
「ほえーこの一杯、あったまるねー」
恍惚の一息、鼻息が荒い。
これを観たのか、学生アルバイト風のギャル店員、
我輩の顔観て笑いを抑えていやギャル!。
・・・・「我輩の顔がそんなにおもしれーのかよープンプンしちゃうぞー。」と
心の中で怒り爆発、表面は お・と・な の装いだ。(我輩はジェントルマンだっぺや。)
香りよし美味なるコーヒーで暖をとり勇気凛々ーー。
駅ビルの自動ドアを抜けて、出た所は橋の上でした。
四谷と麹町を結ぶ大きな大きな橋の上にでたー。
うーん橋の真上だあー。
欄干をみると「四谷見附橋」と書いてある。
「ふへえーずいぶん広い橋だなー」と又もこの橋に興味シンシン(お漬物ではありませんよ。)
(やっと本来の散策ストリート!、・・・・いや、橋の上に出てしまたのだ。「これでいいのかなーまだ出発点だよ!!」。)
そこで調べました。
下のレポートが「橋の今昔」です。
大正3年 「四谷見附橋」の開通当時の写真 橋の説明(下の写真)
下の写真 当時の欄干です。
昔の物ってとってもモダンなデザインだと思いませんか!
(この欄干の一部は架け替えの時、新宿区が譲受けて新宿博物館の入り口に保存されていました。
大正3年に作られたとき、この欄干が上の写真の中にあったと思うと感慨深い哀愁を感じるのは
何故なんでしょうか!!。)
橋の上に立つと、江戸・大正・明治・昭和・平成
とそれぞれの時代の風が吹き抜けた様に感じました。
本日は、いまだストリートへ出られない、だらだら寄り道続きでした。
次回は、ちゃんとストリートリポートしますよってな、乞うご期待のほど。
(2-2)へ続く~~~~~~~~。
3月10日 冬の旬 ふぐの旬は
「秋の彼岸から春の彼岸まで」と言われている。
ことしの冬は身も凍りつくような寒い日が、「あれー どなっかあーなあー!!。」と記憶が軽薄なおいら・・・。
おいらが毎年、冬になると一度は食べたくなる物、ベスト3のハッピョーン? あーれー 八方! 発表でえーす。
ジャーン 第3位 あんこう鍋とあんきも
ジャジャーン 第2位 生牡蠣と牡蠣フライ
ジャジャシャアーン 第1位 ふぐ(てっちりと雑炊)
これら全ていきつけの、へっぽこ医者から禁止されている、冬を彩る豪華キャストダアー。
しかし、いくらへっぽこ医者様に止められていてもねー。
聞こえなかったことにしましょう、不良オヤジは我が道を行くのココロ。
ウッヒー 始めに生ビール ごくごく
次は日本酒 ぐびぐび そーして
健康のために 焼酎 ちびちび
と、つまみが美味いと酒が美味い、
酒が美味いとつまみも最高ーだっぺー。
「行けねばならぬ何事も日本男児は今日もゆくーのだあ~~~~~~~(^¥^);。」
街のふぐ、デカー看板ダアー
(渋谷道玄坂にある「とらふぐ亭」:セット 泳ぎてっちりセット3700円×?+¥
ちょいとガンバちゃいました。
姪の卒業祝いで・・・下に恐ろしや恐喝やー
我が姉様から集られました。
(姉が一番食べてましたね。トホホ)
※ 連絡事項として=3月11日朝からパソコンの状態がいまいちの状態にあり。
MSNのこのスペースでは「ブログリスト」および「コメント」を下さった方々への「ブログ」に
切り替えが出来ず「エラー」が出て消滅してしまいます。
早々に故障箇所を確認して、通常の状態に直すべく奮闘努力を続行中だす。
修復できない場合は、「隠れ家ブログ」でうごめいていますよって、ヨロシクねえ~~。(^¥^)
3月5日 お酒の名前 「おさけ」おいらがこよなく愛する水系飲食物だ。
日本全国沢山のお酒がありますね。日本酒・ビール・焼酎・スコッチ・バーボン・コニャックなど細かく
書き出したら切りが無いくらい多種多彩の水系飲食物であーる。
これら「おさけ」であるが、「いろんな銘柄(名前)をつけているなー」と何時も銘柄をみると感心しきりだ。
こんな名前がありました。
さーあ、なんて云う銘柄かな!
この真ん中の日本酒の銘柄は!。 この銘柄は!
答:「やまとしずく」 でした。 答:「マルト」 でした。
3月3日 山のこと 山遊び
「人は何故山に登るのか!。」、「そこに山があるから」と云えば簡単だが・・・・・。
殺伐としたこの時代に、心を癒せる場所と云えば自然あふれる「山」が最適だろう。
「山」といっても高い山から低山までいろいろだが、別に山でなくても近くの雑木林でも、
落ち葉の中に入ると自然の息吹で、心の清涼剤になるのは確かである。
おいらの山遊びフィールドは主に”丹沢山系や奥多摩周辺であるが、
(時間と軍資金があれば、信州の山々巡りもまた良しだね。南アルプスや八ヶ岳などもいいね。)
これらの山々の尾根つたいや 頂上から、必ずや晴れた日には「富士山」を拝み見ることが出来ます。
「富士山」は姿が見えるだけで、不思議なくらいに嬉しくなるのは何なんでしょうかね。(不思議ですねー。)
ガキの頃から見ている富士山だから、すり込み状態なのか、何故か安心するのだ。
こんな「富士山」は、古くから民衆に愛されていた「山」であることが偲ばれるところが あります。
それは、「富士塚」なる小さな「塚」なのです。
とくに江戸時代は、庶民が自由に領外へ出かけることは 出来ない時代であった。
そこで「富士講」なる信仰が生まれて、毎月わずかばかりの積み立てをして、(共同組合の様な組織です。)
一部の代表者が「富士講」と称して祈願して、浅間神社のお札を授かりて、塚の神社へお札を納めたり、
入信している 「講」の縁者にお札を振り分けるようなことを行っていたそうである。
江戸庶民は挙って仮想富士としての「富士塚」が江戸中 に造形され、浅間神社を分社し祈っていたらしい。
関東周辺には、富士塚なる小山が数多く造られ、民衆は 小さな「富士塚」へ祈りをささげ、大きな大きな
「霊峰富士山」に思いを寄せていたいたのだろう。
(富士塚は高さ3メートル~13メートル位の小さい造形塚で東京都内だけでも50ケ所ぐらいある。)
新宿6丁目の富士塚 豊島区高松の富士塚
富士山は、単なる山にあらず。見た目も美しく、表情も変幻万化であり、日本一高い山から来る
威厳の大きさは正しく「八百万の神々が宿るところ」として、「霊峰」と呼ぶにふさわしく、
おいらなどは、どこに行っても高いところに上ると「富士山」の容姿を 探してしまう。
おいら自身の「無くて七癖」の内にある一つの「富士山探し癖」となっているようで、
隠れ「富士講」信者なのかも知れませんね。
丹沢の大倉尾根から撮影「富士山」 富士の雄姿は姿が見えたとき撮影が基本です。すぐ雲にかくれるからです。
富士山は結構恥ずかしがりやなのかもね!!。
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