おが 的个人资料おがちゃんのパオパオウッヒ照片日志列表更多 工具 帮助

日志


4月29日

東京散策ストリート(2-8)

        東京散策ストリート(2-8)
        四谷~新宿編 : 新宿二丁目・三丁目界隈
 
 ながらくお待たせいたしや↓。やっとアップできたべや。 
 しっかりと春の風景がそこかしこに、草花いっぱいのはる~~~~なんだなあ^~~~。
今回の散策は、超怪しい・・・・・・・・かなあー。
 知る人ぞ知る、ここは新宿二丁目、
ゲイ&ホモ&オナベと呼ばれる昔男・昔女が夜毎狂喜乱舞する怪しげな東京スポットである。
 不動通りを挟み網目の様に路地が群がっている。
          
                               明るいうちは閑古鳥がなくような通りでした。
 
「ゲイ・ホモ」と云っても千差万別であり、ひと括りではないのだよー。
○男のまま、化粧気がな身体くねくね&小指たてて接客する、ずばり「ホモ系」
○男のまま、化粧して闊歩するこのタイプは錨肩、蟹股で女にはなれないが心は女の「なりきりゲイ系」
○整形して化粧しても、どんなに頑張っても、やはり女に見られない中性人類、「ニューハーフ吉本系」
○整形して、容姿端麗どこから見ても超カーワイイー、「ニューハーフアイドル系」
○男のまま、容姿端麗どこから見ても超カーワイイー、「ニューハーフ超アイドル系」
○男のまま、フルメタルジャケットで決めている、「ハードゲイ系」
○性転換、容姿形態すべてにお金を注ぎ込み、妖艶なる美貌をかもしだす、「完璧女宣言ゲイ系」
 
まあー系譜にすると、こんな感じっで分けられるんかな。
 
それと、いまだ潜伏している感じの「オナベ」てのがおります。
  (解説:女から男への転換する女の人のことを称する。)
 ○一般的に、容姿形態を宝塚のスター風に男装麗人として生活している昔女・今男なんです。
 二丁目界隈を凌駕する、昔男の世間的名認知度とは程遠く、女性の奥ゆかしさもあり世間に口外できない方々多いのも現実。
 性同一障害で悩む人や宝塚の男装にあこがれる若い女性の、 駆け込み寺要素も「おナベのお店」が持つ、もう一つの顔でもある。
 
 
        
           夜毎日毎、桃色吐息&狂喜乱舞があるのでしょうか!
 
それと、二丁目界隈の「お店」の形態をみると・・・・
○ごくごく普通のスナック・バーの店
○室内照明をくらくして、なにがなんだか解らない、危ないバーの店
○ともかく客と共に、歌い踊り馬鹿騒ぎし放題の店
 
こんなお店の数々がそれぞれの人生を支えているお店の形態なのです。
 
ニューハーフが活躍する「ショーパブ」は新宿歌舞伎町や5丁目、三丁目近辺にあり、
二丁目界隈の店は「ゲイ・バー」系が多いようである。
 
ゲイバーの想いで話・・・・おがちゃん若かりし頃の回顧録だあー。
 以前、二次会と称して数人で二丁目の「ゲイバー」に遊びに行ったことがある。店の名前は覚えておりませんが!。
怪しげな「女」が接客につく、ごつう綺麗な人もいれば、化粧はすれどまるで男の容姿形態・・・。
綺麗な人はほんまに「女」と見間違うほどで、疑心暗鬼の世界であり・・なにげなく「ほんとに昔は男なの!」と
たずねると、ニコッと笑顔のあと、いきなりスカートをたくし上げ股間を指差し・・・我輩「うんたしかにモッコリ・コンモリだー」
喜んでいいやら悲しむべきかと悩みの果ての、納得の数秒間であった。
なんだか奇妙なんですねー、男なのに姿は女って・・・なんだかなあー的気分です。
 こうゆう店では、容姿端麗な昔男はニコニコ接客係りでいいのだが化粧はすれどまるで「お・と・こ」、の役割は・・・
それこそ芸人はだしの一芸披露やら手品やお笑い馬鹿話など、ネタの豊富さでは舌を巻くほどの、名脇役なのだ。
けっこう盛り上がり、世も更けるのも忘れてましたね。
 若かりし頃の遊び方なので、勢い朝まで飲み明かしそのまんま会社へ行くわけなんだけど・・・・・・ね!。
共に朝まで遊んでいた一同は、「お姉」ことば、(○○ちゃや~~~~ん、どーもおげんき~~~~、あっら~やだあ~~など)と
二丁目言葉の怨霊がそのまま会社へ直行状態なもんで、当然のごとく全員→→→→→部長のお部屋へ・・・
小一時間、会社の風紀を乱した罪で延々とお小言であった。  
今は昔の出来事なれどいい想いでになってま~~~す。
(やだあ~~ウフfu あたしゲイでもホモでもありませんことよ。念のため・・ウフッ)
 
 せまーい通りをくねくねうろうろと徘徊してると、なんとも古ぼけた「質屋」さんなる看板が目に飛び込んできた。
 なんともレトロ感の漂う看板だなーこりゃ歴史の重みを感じ入るわけで・・・
長い営みの中で「どんな物がどんな事情により質入されたんかなあー」と
立ち止まり妄想に更けいる怪しげなる我輩がいた。
 
           
           古いふるーい営みを感じさせてくれた「質屋」さんの店先です。お店も骨董物に近い!
 
 物思いにふけるもう一人の「我輩」を置き去りにもう一人の「我輩」は歩を進めよう。
角を曲がると、この界隈では見なかった「居酒屋」が店の前をいろんなデコレーションで客を誘っています。
お店は古い民家を改装しているようだ。タイ国居酒屋「バーン・キラオ」っ名のお店でーす。
トムヤンクンやらタイ風春巻きなどなどメニューは100種類はありますね。
    
       タイ国居酒屋                          この通りで初めての居酒屋で~す。
                                 
  タイ国の家庭料理もかなりわが国ではなじんできているよね。
我が家の近く上町駅のそばにベトナム料理「サイゴン」ってお店があり、何回か食べにいったです。
何のスープ味って!鶏がらのようなスープで出来たラーメン!なるものがそしてえび入り春巻きなど大変に美味しかったなあー。
そんなこんなで、東京でもタイ国に限らず、各国のレストランや居酒屋などなど数多くあり、こと食べ歩きには事欠かない環境ですね。
この居酒屋は一見の価値があるか、こんどは食べに来たいと思うとります。
「タイ国居酒屋さ~~~ん、又来るねー」とご挨拶して次に目に映りしは・・・はてさて何者ぞ!。
 
先ほどから「ビジネスホテル」の看板が多くあることに気づきました。それも小さなビジネスホテルがあちらことらに点在しているねえー!!。
「駅からは遠いのになんでかな。」素朴なる疑問である。
 
 そーいえばもう一人の「我輩」はどうしたのか心配になってきやしたでげす。ちょいと後戻りして・・・
てくてく後戻り・後戻り・・・アホやないかい!、まだ質屋の店先で妄想ゴッコに浸っておるがなー、「なんぎやなーそこのおっちゃん、いい加減にオッシ!」
と、下らない一人芝居に終焉を、合体~~~~さあーてと。
二丁目界隈はとても狭い地域にいろんな怪しい店があるわけで、怪しいからって
みんな一所懸命人生を歩いている訳で、心内はとっても「女らしい」方々なんです。
好奇心&探検ごころのお持ちの方は、異次元空間二丁目の夜を訪れてはいかがかなー!!。
 
狭い路地を抜けると傾きかけた日差しがまぶしく、おいらの後ろ影を長く映し出していた。
 きょうは、ごくごく狭い地域の散策であり三丁目まで行こうと
思っていましたが・・・・・・
  三丁目散策は次回(2-9)にて取り上げることにするべな。(^~∞~^)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4月27日

新宿東口夜景

 
 
    新宿東口 魑魅魍魎 百鬼夜行の住む街
 
  人と人とが入り乱れ、人生の一握を感じる街である。
 
    いまこの一瞬に人間どもの生き様を
 
  見透かすかのようなネホンが光る。
 
  原色で渦巻く光の洪水が、
 
  行きかう人間どもの
 
  本物の「陰」を地面のそこかしこに映し出す
 
 
    新宿東口駅前
   
 
 
   
 
 
   
4月18日

寄り道小道迷い路

   新作NO.1  ザッツ寄り道小道迷い路
  
      「新宿番外地編 その1」でやんす。  
 
  前記事の「怪しい本屋」さんから、北へ30メートルぐらい短い足で歩くと、
 ビルとビル!(ビル・ゲイツではありません:足からず!)の狭間の道から、境内に繋がる表門が見えてくる。
 
                                怪しい本屋さんから北へ歩くと 大きな仏像様!!がありました。
                        
  
   そこは、「太宗寺」(たいそうじ)と云うビルに囲まれた古寺がありました。
 この寺は、慶長年鑑(1596~1614年)頃の創建と云われる。宗派は、浄土宗増上寺の末寺・霞関覚院。
 江戸時代、徳川家康から慶長7年、関東総奉行の役職と内藤新宿の地を与えられた、内藤家の菩提寺です。
 内藤家はこの地の他に四谷・代々木・千駄ヶ谷・大久保までの広大な敷地を管轄しているほど、家康公の信頼も
 篤い家柄であったそうだ。(内藤新宿ミニ歴史資料館より一部抜粋、一部いい加減割愛!。古いね400年位前のお寺なんだー。)
 
   「ほえーこんなところに、でっけえ大仏さんがおるもんだなーや。」と、
なかなか東京の標準語になじめないシティボーイの我輩であった。 コンクリート塀に囲まれた正門を入り右側に「大仏」さんがいるのであーる。
 近くへいくべか。
 (ちょこちょこと短い足を右左てくてくと一所懸命歩いてきた甲斐があっただがやー。おがちゃん~感激。)
近くに来るとよりいっそうとデカイ。
        
 頭には編み笠っていうのかな!。
 まあー今で言うなら「麦わら帽子の風の三角形の帽子!、三度笠!」よけい分かんないってか! (ー±ー;)反省。
 (この帽子のようなの、名まえが出てきません。誰か、ヘルプ・ミー _(-・-;)_〆°^^^^^^          
     大仏ではなく、地蔵菩薩坐像でした。ほんまデカイのです。
        
 
        ↓境内中央より桜と菩薩様 台座いれると高さ5~6Mはーあんべかなあー。
          
 案内板一部参照および省略あり、を概略します。(日本語って難しいあるよ!中国語もっと難しいねえー。)
 ※では説明をばいたしますので、皆さまー正座をしてーにぎにぎしく聞いてたもーれ。オーレー
 東京都指定有形文化財 彫刻
   銅造地蔵菩薩坐像 
江戸時代前期に江戸の六ケ所で、菩薩坐像が造設された、「江戸六地蔵」のひとつである。
 像高は2、670センチメートルだが台座があるのでものすげーデカイのだあ~~~~~~。
  ほんで、「字が小さくて読めねーてば」とぼやきながら、しつっこく読むと・・・
 目の前の大きい菩薩さんのお腹のなかに、 さらに小さなお地蔵様が六体納めてられいるのだそうな。
 うんーん、疑問が・・・・・・?
  (この大きな地蔵さんって六つ子の親になるんかいな! お腹の地蔵さんは子地蔵だなや、
  しかしだよ、この大きな地蔵様ってな、女性にしては顔と肩幅がでかいなあー・・・・なんでかなあー!)
 
 まあ素朴な疑問なんで、深く考えるのはよそう。
 
 しかし地蔵菩薩さまは我々庶民には一番身近な存在で、いろんな「お地蔵さん」が全国各地で信仰されてんだよね。
 
 お地蔵さんの、「ここがすっごいですね~~~。」ってところは!
 ジャーン:地蔵菩薩様は最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩」である事から、
 古来より絶大な信仰の対象となっており庶民の見方なんだなー。
 (そーいえば何処のお寺様へ行っても、「お地蔵さん」ニコッと笑いかけているよね。)
 
              ↓お腹にいます、子地蔵六体の写真だそうだす。
         
 
  だいたいを概略すっと「地蔵さんがこぞっていろいろ小さな願い事を聞いて下さる」ってことかな。
                       (おー合掌・合掌すんべ。 皆もやってけれーご利益あっからー。)
 ※よーし、良い子であったかな!。えっへん、では正座の呪文を解く
      ( 足の痺れたもんは修行がタラリランでげす。)
  
 ここで、小耳情報をひとつ出しちゃうね。 O.Kベイビイー調子はどうだい!
 明治時代の文豪:夏目漱石(本名」金之助 1867~1916没) 小説:「我輩は猫である」、「こころ」、「ホトトギス」、「坊ちゃん」などの
誰もが一度は読みふけったほどの名作が格さんとくれば・・・水戸黄門じゃー!・・・ではありません。元へ→名作が沢山あります。
 
 
   明治の文豪 :  夏目漱石      代表小説の一部「我輩は猫である」、「坊ちゃん」。
                          視線の違う角度から「一人称」の形態を中心に物語が展開していく文章校正は、
                          圧巻のひとこと、読み応えありました。何時頃読んだか記憶が・・・!。ハレホレハレハ!!
 
 
   この漱石が幼少のころ、この寺の近く(住居は大木戸あたりらしい)にすんでいたそうで、この寺も遊び場の一つで、
 
  大きな地蔵様の上に跨ったりしてあそんでいたそうです。この机上は、漱石晩年の「道草」(1915年岩波書店発刊)の中に、
 
  当時のわんぱくぶりが書かれています。
 
  なんだか、奇妙なところで明治を駆け抜けていった、文豪の息吹を感じたひと時であった。
 
  今日は、こげんとこで、あんじょう店を閉じるでがんす。
 まだ続きますよってな、 新作「ザッツ・寄り道小道迷い路」 も、御ひいきに。
 
 次回:番外編 NO.2いつになっかなー!。 
                    
4月15日

テスト中

 
              テスト中です。              
 
   
    尾瀬原の湿原と木道です。正面の山は、燧ケ岳(標高:2356m)
 
     
    このスナップは尾瀬湿原の木道です。
 
  きらきらお星様    きらきら光る         
                                           
                              ↓富士山(みえませ~ん)                南アルプス山系、↓ちらり雪山(観えますか!)
      
       このスナップは丹沢:塔ケ岳山頂より、富士山は雲で隠れてます。右上にかすかに南アルプスの雪山が観えるの判るかなー!
  
      お詫び:只今、修行中につきスナップ中心の記事にて失礼致します。  管理人 おがちゃん より
                                                          
 
 
 
  
4月12日

修行中

    只今、PCおよび操作の修行中につき記事の更新は、無・し・よ。
    昨年の夏:尾瀬沼に行ったときのスナップです。 
 
    湖畔の休憩所風景です。ごゆっくりと寛いでいってください。 「くつろぎ人」
   
 
   尾瀬沼:ガスった後の沼のほとりで、「そよ風と波紋」
   
 
   朝もやの向こうに突然あらわれました。 「湖畔の目覚め」
   
4月10日

東京散策ストリート(2-7)

            東京散策ストリート(2-7)
            四谷~新宿編 : 新宿一丁目界隈
 
 …☆ 久し振りだーす。お待たせいたしやした。…☆
「御免なすって、手前生国と発します所、関東です。関東関東と申しましても些かひろうござんす。」
なーんてね、江戸時代の内藤新宿は甲州街道への一番目の宿場町、
渡世人が行きかい、このような挨拶がされていたのかいないのか・・・・・・定かでなーい。
 
 では、いよいよ新宿地区への突入だー。
ここは新宿、旧くは「内藤新宿」と呼ばれていた地である。
江戸時代は、新宿四丁目の交差点よりこの名称にて呼ばれていたと云う。
この内藤新宿は、かつては宿場町でもあり、江戸市中への通行を調整するための”大木戸”(大きな門)が交差点近くにあった。
内藤新宿と四谷間はこの大木戸により通行制限されていたようだ。
新宿通りと甲州街道の二股に所に小さな広場があり、石碑が当時の面影をひっそりと刻み建っていた。
 
                            ↓ 江戸時代「内藤新宿」の古地図                ↓四谷大木戸   ↓四谷大木戸碑
      
 
 さてと、歩を進めようか。
 少し歩くと奇妙な「ガラクタ」!、最近では、死語にも似たことばであるが、そう「ガラクタ」のような物が店先に、
堂々と陳列!、この場合は「珍列」って表現の方がお似合いの様子。
 ショーウインドウのガラスに「隕石パワー」なる文字を発見、
その横に「UFO」の記事などが所狭しと貼り付けてある。
店名は「宇宙村」・・・そのまんま東でっかあーアh-ン。
 
    怪しい:隕石パワー会の看板          ガラクタ風! ぬいぐるみ      壺や木彫り熊の置物!なんでもありかよ
   
 
   幾度かTVなどで見かけた、宇宙人と交信とかUFO現るとか言っている、けったいな人物がオーナーの様である!。(らしい・・)
我輩もUFOを信じている一人であるが、なんか、うっさんくさい感じが・・・・・・・・・するのでーす。
 店内をウインドウ越しに物色するも、やはり骨董屋的な感じが、妙なものがいろいろ・・・店内へとは足がすくんで入れなかった。(無念ダ)
人には「怖いもの見たさ」ってことばがあるが、ちゅいと我輩は勇気が無く、尻尾を丸めて退散と相成り申した次第。
(「散策になら無いじゃん」のお叱りの声、聞こえて来そうである。:面目なーい。(ーA-;) )
 
 怪しそうなお店を後にして、目の前に現れたのは、今度は大丈夫そうな感じ!。
歩道のところに人が集まっていたっす。なんだろう!、「新宿一丁目食堂」って書いてある。飲食店だー。(^^)
我輩はまだ入った事はないが、店内を覗くと満員盛況である。メニューを見ると定食類が多く、惣菜も豊富、
値段も500~700円位で満足感のある品揃えである。(繁盛の訳、分かるような感じー、庶民的なお店って事ですね。)
「あんじょう儲かってけれー」と言葉を念じ、小さな群集を書き分け歩を進めまーす。
               新宿一丁目食堂の前にて
               
 
 この界隈になると大衆食堂もあれば、おしゃれな「カフェ」も何件もあります。最近ではオープンカフェの傾向が強いのかなあー。
店先には必ず、洒落た椅子とテーブルのセティングが目立つようです。
そろそろ一服のお時間なのでちょいと寄り道、最近人気上昇中のカフェ「タリーズコーヒ」へ入り、人気メニューって書いてある、
アイスカフェラテ(short)290ennをチョイスしてオープンデッキへ、陽だまりの中いい感じです。(うとうとしそう):
(新宿御苑の花見客なんかなー団体さんの姿が目立ちます。)
 
           人気急上昇中カフェ「タリーズコーヒー」のオープンデッキ
          
     (オープンデッキ風景の写真を撮りたいのですが、あからさまに近くでの撮影は睨まれそうなので、控えました。
      遠くからでごめんなさい。勇気のない我輩でありまーす。)
 
 ゆるりとした一服にて元気・元気となりました。それっ散策だあー。
  右に目をやると、小さな本屋らしき・・・・丁度新宿通りをはさむ向かい側の角に、またまた興味ある風情のお店!。
 
信号を渡り恐る恐る近づくと、まあーなんともレトロ感覚満杯のお店である。緑色のテント看板を見上げると「昭友社書店」と書いてある。
 
・・・・・・・・・・どうゆう訳か、自然と頬が弛んで来るのだ。
 
                  ちょいと怪しい「本屋」さん!
                 
無造作に置いた書籍なのか!、これはドーナツ盤のレコードですかね、その横には・・は・が・き!訳分からんです。
なんとも陳列物の、統一性が見られない、ここは「本屋」では・・・無言の圧力・殺気を感じます。
(なかなかこの界隈は、手ごわい店が多いようで・・・。)   こわごわと物色は続く。
 路上の陳列列品は、石原裕次郎と美空ひばりさんの写真集ですね。どちらも正札ラベルでは:1600円の奉仕価格なのかなー。
あとは、ビートルズの30年を辿る特集写真集でしょ、それから、「刺青」を扱ったビデオが10本並んでいる。一本4000円だって、
こんなのは、刺青マニュアってきっといるんでしょうね。(どんな人が買うのか興味は永遠です。)
 
      書籍・レコード・はがき!              美空ひばり&石原裕次郎の写真集        刺青のビデオ10本勢ぞろい
        
 心の動揺が・・・
     「なんだか面白い感じーdkidoki」って分かるかなー、奇妙なハイテンションである。
                                                                                                      
 それからそれからである、昔の東宝なのかな!松竹なのかなー大スターの!、よーく見ると「写真じゃねーべや。」
絵だよ絵!、へ絵ーってか。(へたなダジャレいっている場合か・・・・・・・恥ずかしい限り)
 なんと似顔絵のペタンコシールなのだ。「こんなん売れるのー」と思わずにはいられない今日この頃であります。
 
 昔の映画スターの写真!                           だいぶ昔に発刊されて「プレーボーイ誌」
       ↓実は似顔絵でした。(ペタンコシールです。)      表紙は松田聖子!        浅野ゆう子のようです。
    
  まだまだ続く怪しい本屋さん、ありました「プレイボーイ」と「平凡パンチ」。
昔はファション情報やらヌードやら芸能ネタなど、大変・大変お世話になりました。
なんと表紙は松田聖子と浅野ゆう子の初々しいお姿で掲載です。(レア物ですね。)
 
 本棚に整然と並ぶ書籍も興味あふれるものですが、限がないので割愛しまーす。お見せしたい写真が山ほどありますが、
残念ながら猥褻規制に引っかかる恐れがありますので、ここに掲載できないこと謹んでお詫び申し上げます。
(むかし大志を抱いていました紳士諸君、けっしてPCの前で暴れないでください。小さなお願い大きな迷惑だあ~~(*⊥*;)∂)
「怪しい本屋」さん興味深々、胸わくわくのタイムスリップでした。ありがとうござます「怪しい本屋」さん。
 
 「怪しい本屋」のオーナーさん
貴方のお店は雑然とした中で存在意義あふれる品揃えのお店として、我輩の、散策ごころを刺激し続けました。
我がマニュアック手帳に「超A級」の印でその栄誉を後世に残す所存であります。
     
           万歳三唱 ばんざい万歳バンザイ ☆…\(´▽`)/…☆
 
後ろ髪引かれる思い出散策ストリートに歩を進めると、ほどなく新宿2丁目の交差点が目に入りました。
 
またまた、今回も妙なところで寄り道ばかりでしたー。今日のところはお後がよろしいようで。
     次回(2-8)またまたどうなりますか! 我輩でも、ようけーわからんばい(^^)。 まーたね~~。
 
 
 独りボヤキ:この下の写真なんですが、記事掲載用に取り込みするのだが、
         この写真を消すと記事アップまで消えてしまう状態です。
   ↓    なんか、記事がスッキリせず、頭痛のタネざんす。(お見苦しい限り、ごめんなさい。)
  4/12追伸  ↑上の状況について、最新じょうほう~だよ。いろいろ試してみたが、我輩の記事校正においては、現行の写真掲載手順
         において文章&写真校正において、この方法が適しているようなので、今後も写真残しを続行します。
    
4月8日

さくらのアーケード

  桜咲く都会のオアシス上野公園にて、酔っぱらってきやした。ウヒー
   
 
    さくら咲く春爛漫、行きかう人の波 又波 
      頭上には、桜の花びら競い合う。
   すんだ青空と遊ぶよに美しき季節の絵を創り
        一人一人に憂いを誘う。
   
    桜見る人歩く人、酒呑み歌う人、眠る人
       それもまた、花見の風物詩。
     咲けよ咲け、春の訪れ告げる世に
     酒よ酒、酔うて心に染み入るように
 
    咲けよ咲け、桜見る人々に幸多かれと
 
      上野:不忍池 桜のアーケードの下で               
 友人とのお約束場所探すのに苦労しました。なんせ人が多くてね。(携帯もつながらんのじゃあー:怒り)
午後2時の約束を小1時間オーバー迷子ちゃんになったが、なんとか連絡取れて、位置確認。
なんと、この写真の50m先にいました。(冷汗ものだね) 予算 一人3000円×3人=9000円 
(清酒・ワイン・ウーロン茶、お寿司、焼き豚盛り合わせ、お菓子類各種等々ボリューム満点でした。)
目出度く合流、楽しく酔っ払いました。満足・満足の花見酒でした。ヒックッ (@*_*@)ウイープー!
          
                                                          不忍池にて:ボート池と花見
                                          
         弁財天を祀る弁天堂と桜
                   
       ↓  上野山と弁天堂の間にある参道
      露店の賑わい、ここで追加の酒と食材仕入れしました。     ↓↓下の写真は上野山での花見ですが桜の木が大きすぎて
           混んでてモー大変でした。(大汗)                 花より団子の風景と申しましょうか・・・超ヨッパライ天国でした。
               
 
   上野の今昔アラカルト!
     上野恩賜公園は、古くは江戸時代:徳川三代将軍 家光が丑寅(北東)の方角、すなわち鬼門を封じるためにこの地に「寛永寺」を
   建てたのが始まりで、徳川家代々の菩提寺としても知られています。1987年に日本初の公園として指定されました。
   
    上野恩賜公園は新旧の国立博物館や動物園、歴史的な徳川家霊廟や東照宮、五重塔、彰義隊慰霊碑、西郷隆盛像、古墳、
   4つの美術館などもあります。飲食店では、明治5年創業の西洋料理では老舗的お店で中でも軽食堂で出される元祖「ハヤシライス」は、
   見逃せないよね。(定価1000円、お値打ち価格でーす。美味しいよ。)
   又、鰻割烹料理では日本一と美味いと評判の名店:伊豆栄亭が上品な店構えで迎えてくれます。創業270年の老舗で明治時代は、
   文豪や文化人たちが通っていたそうだ。(ちょいと敷居が高いんで、いまだ鰻食べれません。)
   こんな見所満載の上野界隈です。
   ただし、花見の季節だけは、どの史跡や建造物も身を潜めて、人々と共に花見を楽しんでいるようです。(^^)
 
                    お花見、最高だっぺ~~~~~。
            吠える犬と、吠える酔っぱらいにはくれぐれもご注意ください。(おいらのことかなあ~!。えへっ。)
4月6日

山への思い

                        山への思い
 
 「登山」とは無事に生きて帰ってこそが一番の土産であり、楽しき語らいの原点である。」
 
1、遭難 
 最近、山での遭難事故を見聞きするのが多い。嘆かわしいことであるが現実に事故は増加の一途を辿る勢いである。
これらの遭難事故で目に付くのが、ベテランと称するリーダー格の方々が遭難事故で亡くなっている事である。
  事故報告書に目をやると意外な事が見えてくる、季節特有の天候変化の情報入手不足、装備や着衣などの準備不足、
天候の急変に対する認識や判断の遅延など、まったく「どーしてなの!」と、逆に考えさせてしまうような安易な登山なのである。
  遭難した人たちは、遭難しようと思って行動しているわけではないが、あまりにも「山」そのものを甘く見た結果であり、
死んだ命は戻らないのである。
 
  ベテランリーダー格の人がパーティー(登山チームのこと)にいるのに、この様な事故は、防げないことがあるのです。
 複数での登山では、全てに人任せな人々も少なくない。
山では自分の事は最低限自分で対処するのが原則である。ツアー客の一部は、今登っている「山」の名前や地形・所要時間など、
なにも分からない、ひどいのになると食べ物まで人任せのピクニック気分で入山する人もいるのが実情である。
「山の認識不足。」これでは、事故の減少は見込めるはずはなく、今年も事故の増加を考えると末恐ろしいことである。
                          (挿絵:山のメモ帖より抜粋)
2、救助とマスコミ
 一度、遭難事故となると、関係する警察・消防・自衛隊や民間団体・知人友人家族など
多くの人達が要請とか必要に応じて救助に関わる。
 また、救助捜査に関わる人も命がけなのである。悪天候や遭難ポイントの絞込みなどが充分でないときもあり、
無理な捜索は二次遭難を招くことになり兼ねないからだ。
 捜索に掛かる費用総額といったら半端でないのだ。いまは団体や個人の登山など関連した条件範囲での
保険サービスが整備されており、自己負担額も保険などにより軽減してきているが、
できれば遭難は避けなければならないのは当然のことである。
                                          (挿絵:山のメモ帖より抜粋)
 その中で、遭難と聞いて一番はしゃぐのがマスメディアである。報道のプロ集団であるから動きは敏速だ。
しかし、時として遭難事故の報道に過剰なほどのリポートをする場面が見られる。報道機関としては当然の
事とは云え、無神経に友人・家族など心配でどうしようもない時であろうに、ずけずけと、さもあろうか「今のお気持ちは」
、などとわざわざ聞かなくてもいい事を当然のように、人の心に土足で入り込んでくるリポーターの様は憤りを禁じ得ないものだ。
マスコミ関係者の方々、又、最前線のリーポートする方々様、もう少し人としての行動・言動の慎みをあなた方に望むものです。
 
、「山」を尊敬すること
 近くの低い山でも、どこに危険があるか分かりません。山の地図は元より登山情報、天候などを充分に把握して、
登山するメンバーの経験や技術・体力等を確認してください。計画の段階から出来れば同行する人たちが参加して
山の選定や計画書や行動制限等々など、いろいろと話し合い作成するのがいいでしょう。
 
                              尾瀬ガ原:湿原to木道風景
                      
 出来るだけ参加する全員が同じ登山計画を共有していることで、指示伝達系統や無駄となる装備や食料など、
重複せずに、統制の取れたパーティーが組織されます。また行動の前後が把握できることでペース配分や、
同行者への配慮なども出来てきます。(単独登山は個人責任になります。)
 
 複数での登山にあたり、各参加者への担当を割り当てるなども、責任ある行動が保たれるものです。
  例:我々が複数で登山する場合
       まずは登山隊長の決定。  (登山計画の作成と交通機関などの調査と時間割の作成:登山最高責任者として全ての決定権者とする。)
       副隊長兼炊事班長   (隊長のサポート、食事の献立作成、食料、お酒の確保、コック長となり、ひたすら献身的に料理を作ります。)
       宴会班長             (行動時のみんなへの元気付け励まし役。宴会では真っ先に宴会部長へと変身して場を盛り上げます。)
       隊員                (もくもくと計画にのっとり、隊長や班長の指示に忠実に従い割り当て荷物のポッカ(荷揚げ)をします。)
 
 複数で登山パティーを組織するときは、必ず信頼できるリーダーを決めること。最終的な行動判断をあおぐ様にしましょう。
友人・知人同士だと、たいてい「気心知れた」ってことで、わがままな意見の対立など起こりえないとも限りません。
山では別行動をとったりの勝手気ままな行動は、一人の問題ではなく、同行者すべてに危険がせまり死に至ることもあります。
友人といえども山では一度決めた「グループリーダー」の最終決定にみんなで従うことが大切だ。
 
 「安全な山登りを楽しむことが第一です。」
  これからの季節は、山好きな人には待ちに待った「登山シーズン」の到来です。充分な情報と計画の上で、仲の良い友人たちと
一層の絆を築くのもいいでしょう。子供さん達へも大自然の雄大さや素晴らしさを体験させるのも好いでしょう。
 
 「山」を尊敬して、自然を満喫してください。 決して「山」を見下したり甘く見てはいけませんよ。
    安全登山に心がけ、山と友達になりましょう。 
                     
                            丹沢山系より霊峰富士山を望む
                                 
 
 
                               丹沢:大倉尾根より相模湾を望む  (手前は秦野市、山の後ろに小田原市と相模湾)
      
 
4月3日

一本の鉛筆

 前記事の「鉛筆の発祥地発見」の記事にて思い出しました、「一本の鉛筆」ってすばらしい楽曲があることを・・
ここに追記として記事アップします。
                
  一本の鉛筆
 昭和49年(1974年)の第1回広島平和音楽祭で美空ひばりが「1本の鉛筆」(作詩・松山善三、作曲・佐藤勝)という歌を歌いました。
この歌は反戦をテーマにしたもので、美空ひばりがこのような楽曲を歌うのは以外であろう。この楽曲を歌うにあたり作曲家:古賀政男・
歌手:川田晴久・ルポラーター:竹中労、などいずれも平和をとなえ戦時中に苦悩した方々からの影響であるかもしれない。
 
 この中で「一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く 一本の鉛筆が あれば 人間のいのちと 私は書く」という表現があり、
この詩の心を平和宣言でさらに発展させ、21世紀に向けた広島の決意としました。
 
                                             
                       一本の鉛筆
                   作詞:松山善三   作曲:佐藤 勝

                     あなたに 聞いてもらいたい
                 あなたに 読んでもらいたい
                 あなたに 歌ってもらいたい
                 あなたに 信じてもらいたい
                 一本の鉛筆があれば
                 私は あなたへの愛を書く
                 一本の鉛筆があれば
                 戦争はいやだと 私は書く
 
                 あなたに 愛をおくりたい
                 あなたに 夢をおくりたい
                 あなたに 春をおくりたい
                 あなたに 世界をおくりたい
                 一枚のザラ紙があれば
                 私は子供が欲しいと書く
                 一枚のザラ紙があれば
                 あなたを返してと 私は書く
 
                 一本の鉛筆があれば
                 八月六日の朝と書く
                 一本の鉛筆があれば
                 人間のいのちと わたしは書く
                           
       この地球上には未だに戦争が絶えない、なんと人間とはおろかな生き物であろうか。
 
      広島・長崎の悲劇を繰り返してはいけない、戦争のない平和な世界は何時になったらおとづれるのか、
 
      一人一人の命、大切な命、叫び続けよう書き続けよう「平和」の文字を・・・・・・永遠に。
 
 
4月2日

東京散策ストリート(2-6)

           東京散策ストリート(2-6)
           四谷~新宿編 :内藤新宿界隈
 
  四谷駅前から今回の散策を始めて、やっと四谷四丁目と新宿一丁目の狭間まで到着だ
「新宿」って文字がちらほらと・・・・
さあーてと、気合も入れずだらだらと、「我が道をゆくのじゃあー」と、消防博物館で遊びすぎたのかなー。疲れ気分!
交差点の隅にある小さな陽だまり。腰掛用の縁石発見。腰をおろし一服としました。
一服の間に、街道を行きかう車の洪水は午後を過ぎると、切れ間がないほど多くなっている。
ビルの横から差し込む春の陽光がまぶしく交差点を照らしている。
 
  四谷四丁目交差点から新宿方面に向かい、幹線が二股に分かれてる。
左側は甲州街道のトンネルと続き新宿御苑の下を抜けて新宿南口へと通じている。
右側に位置する道路は、新宿通りへと延びていて、云わずと知れた新宿駅東口へと通じている。
 
 ←左:内藤町    左:甲州街道 ↓       右:新宿通り ↓    ↓隅のビルにサン・ミュージック事務所があります。   
   
一丁目側角のビルに架かる看板には「サン・ミュージック」と書いてある。
所属タレントは、有名なとこでは森田健作・ケインコスギ・ベッキーなどがいる。        ♪                  ♪♪
昔は、かの有名な「松田聖子」も所属していましたが、すでに独立していまーす。♪あー私の恋は南のー風に乗って走ーるーわ・・・♪
                                                                 ♪
 それでは、お馬鹿な時間の浪費はそこそこに、散策開始としますかね。交差点左側は「内藤町」である。
この内藤町の80%ほどは、新宿御苑の敷地にあたり、住宅用地は小さいのだ。
その小さな住宅地に潜入してみよう。表通りから路地に入ると、実に閑静な住宅が続く。
昔ながらの狭い路がくねくねと蛇行している。(蛇がはってんじゃねーよ、路ってもんはまっつぐつくんべやー。勝手伊井太郎より 反逆魂の進め)
横切る建物の間からは隣接する新宿御苑の大きな樹木がうっそうと見え隠れしていた。
 
     なぜか古都:鎌倉を歩いた時を思い出しました。          風情ある表木戸くぐりですね。
   
 なんだか迷路のような路地である、そうこうして10分くらい歩いただろうか、小さな公園広場に出た。
ブランコとシーソなどがこじんまりと佇んでいる。子供や親の姿もない。ごっう静寂の公園だ。四谷と一緒で「ガキ」がいないのかねー!。
公園の隣には神社らしき鳥居があり、囲むように大きなケヤキが数本、周囲4~5メートルはあろうか、立派な樹木である。
よくよく見ると「都保存樹木」との表示があった。納得の樹木である。
(ガキの頃は、神社の大木が恐ろしく怖かった時がありました。なんか黒く大きな怪物に見えていた時代だんべー。)
感心しながら、周辺を見渡すと草に隠れて小さな看板の様な物が見えた。
ううん・・・道祖神!、お地蔵さん!。
                鉛筆発祥の地 案内板              鉛筆の碑です(小さいです。)
                            (うっかりすると見落としてしまします。もっと大きく造れよ。意味ないじゃん)
   
えへー またしてもマニュアックな発見だアー アーアーアーーーーー(ターザンの気持ち分かるような!!。)
 
なんとここの公園は日本で最初「鉛筆製造発祥の地」なのでーす。
 
記述
 明治20年(1887年)佐賀藩出身の眞崎仁六氏が「眞崎鉛筆製造所」(現・三菱鉛筆株式会社)をこの地で興し、
鉛筆の製造を始めた。(案内看板より抜粋。)
 
鉛筆の思い出 
 鉛筆とは、ガキの頃から現在でもお世話になる文具であり、なんかここの場所が最初などと知ると、思わず合掌しちゃいますね。
結構、鉛筆の流通で日本国民全体の教育レベルは飛躍的な発展したのですからね。
 ガキの頃の鉛筆は、心棒と木部の接着が悪く、書いているうちに心棒が鉛筆のお尻から出ていたっけなあー。
(退屈な授業中には、これが面白く始終鉛筆遊びした記憶がある。)
それと、ナイフなんて今の子供達使えなくて可哀相だなー。
ナイフで削ると個人個人の性格が出てくる。筆箱覗くとみんな心棒の出し方とか周りの木部も長さや仕上げ方がまちまちで個性豊かでしたっけ。
短くなって使いにくい鉛筆は補助筒とか何とか忘れたが、鉛筆サックかな!差し込んで2センチぐらいまで使い込んだ思い出が甦るね。
 昔は鉛筆一本を買うのも、母親からお金捻出するの大変だったからねー。
国民全体がが貧乏時代だから「もったいない精神」は当たり前だったね。
 
隣接する神社は
正式には「多武峯内藤神社」(とうのみねじんじゃ)と云う。御祭神は=藤原鎌足公である。
      境内には本殿と小さな稲荷が鎮座している。            清め水所
     
                  小さな小さな神社でした。                           清め水所のうしろに、「鉛筆の碑」があります。
 
きちんと御参りして小さな神社をあとにする。
又、路地を徘徊するも行き止まりの路が多く、残念ながら通りに出ることにした。
丁度出た所は、「外苑西通り」だ。通りの正面には、有名な野口英世記念会館なる建物が燐として建っている。
「通りの向こう側だから」と野口さんのお家は通過といたしましょう。
 
一路元来た四谷四丁目交差点へ戻りますかねー。
 
 内藤町では、閑静な住宅街のなかで、ひょっこりと現れた「鉛筆の碑」、歴史的な所なのに、
ものすげー地味なところでした。しかし、散策ではこのような発見が無常の喜びなのです。やっぱり、おいら「マニュアック」かな!。
  
次回は(2-7)  いよいよ新宿管内wo歩きマース・・・・・・!