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7月28日 夏本番 巷では、夏本番の感じ。昨日は32度だった。
(どーりゃー暑かったにゃぁー、疲れがドバドバってきやしたでげす。)
モー大変、PCも動きが悪くてねー参ったでござるよ。
取り込みの写真も今一、修整が出来ず、修復も面倒になりつつ、
しばらくは、ゆるるるruゆるりん、
おさぼり記事にてアップ予定
(気分はダウンなのじゃー。これって夏バテ:ヘベレケ状態・・・・・・!)
!????!
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§(▼△▼;)§
〃Ω〃 7月22日 裏高尾のハイキング 先週、台風一過のわずかな晴れ間に、久し振りに友人と二人で高尾へ歩きに行ってきた。
一般には高尾山と云えば、高尾薬王院を中心とした8コースからなる、整備された登山コースを示す。
登山コースといっても標高600メートルにも満たない山であり、ほとんどは緩やかな上り坂で整備されており、
登山と云うよりもお散歩コースと呼んだ方が、表現上は正しいようなところであるのです。
このお散歩コース全体を我輩達(自称:やまや)は、「表高尾」と呼んでいる。
駅前の大きな看板/小さな画像
※写真の拡大がきれいに出来なーい!! どーせてなのーヘルプ ミーだがや。
今回、歩いたコースは地元の方々や登山家には、知られた「裏高尾」と呼ばれているコースである。
高尾山口駅前の案内川を渡り、甲州街道を横切り土産店の並ぶ隙間の路地に入り口があるのだー。
この入り口の案内は、大封筒サイズの小さな木板に、黒字で書かれており、うっかりすると見過ごしてしまいそうな代物でなのです。
(なんだか、隠し砦への抜け道のように、目立たないようにしている案内看板なのである。)
では、土産店の隙間をくねくねと曲がる路地から、「裏高尾」コースを歩きまーす。
(高尾山口駅前~草戸山展望台:往復2時間30分のお気楽コースなのだ。)
怪しいPさまから:↑標高は365メートル 別名:1年山との伝言あり。追加記載する
歩き出しは、土産物店を過ぎ分譲住宅の新しい建物の間を縫うように進みます。以前は、畑だか雑種地だったかなー。
しばらくこないうちに、風景が変わってしまい、時代の流れを感じましたね。
入り口から3分ほどで、このコース一番の難所!!。(所要タイム:10分)
葉をいっぱに繁らせた樹木の間に、幅30センチほどの狭くて急な上り坂が待ち受けています。
鼻息荒く、フウフウゼイゼイと獣道ほどの、細道をダラダラと登り切ると、峠のこじんまりした広場があります。
ここで一息小休止、流れ出る汗を拭い水を一口。
最初休憩(尾根分岐) さーいくぞ。と最近体重の減量に成功した、怪しいP友人の勇姿!。軽快な足取りでした。
この先は目的地(本日の「宴会予定地」のれ~~~す。)まで尾根伝いの大中小のアップダウンが連続する「尾根縦走」
大げさな表現で申し訳ないです。(性格には「尾根歩き」なんですうー (^。^) )
台風一過の翌日は晴天と思いきや、晴れたり曇ったりの天気であるも蒸し暑いのです。。
(時折、木々を通る風がいくらかの清涼感を与えてくれるようであるも、蒸し暑いには変わりない模様だ。)
雑談をしながら、ダラダラと尾根を行く・・・・・簡略・・・(日常のあること無いこと、一般公開は出来ぬ内容ですんません。)
今年は、湿気が多いいのか大小のキノコが沢山道端にはえている。高温多湿が影響か!。(例年ではこの時期では見かけないのだあー。)
尾根分岐 樹林帯を行く 怪しいPさん依然として軽快なる足取り、どうなっちゃったの!
怪しいキノコ 怪しいキノコ
森の切れ間から都心が見えました。 (中央が新宿の高層ビル群です。)
台風一過のおかげです、始めて都心が見えました。
歩き出しから1時間30分・・・目的地に到着、
昼食場所には先客が多く、宴会場所をもう少しあるき「ふれあい休憩所」に変更。
城山付近山頂の守り神様
さらに15分、60段・・・・65段・・・・45段の
人工階段のアップダウンにて、ふらつきながらも到着だあー~~~~。
さー昼食宴会です。
山歩きと、この宴会は我等の登山では、欠かすことが出来ないイベントなのでーす。
ほぼ、1時間30分前後は昼食宴会になるわけで、このために、40リットルサイズの
リュクサックは日帰りなのに満杯状態。
コッヘル・バーナー・食器・食料・命の水(大量)等々、周りの登山者と比べると
ほぼ倍ぐらいの荷物を背負い、昼食宴会に突入するオオバカ野郎達でありまーす。
本日の宴会メニュー
さば水煮・牛ホルモン焼き(にんにくの芽いり)・ミックス野菜・
マルタイ棒ラーメン(九州では人気のインスタントラーメン)
缶ビール・日本酒・ワイン・秘密の延名水!!。
メニュー勢ぞろい
牛ホルモン焼きだあージュー
行き会う登山者から冷やかしの眼差しを受けながら、酔っぱらい達の宴会は延々と続いたのでしたー。
軽く酔いを冷ましながら、一路下山。林道よこの地蔵様へごあいさつ
、
高尾山口駅前の食堂で、名物おつまみを肴にまた一献・・・日が傾いていきま~~~~した。
「裏高尾てくてく宴会紀行」の終結でありまするー。アヂヨース。
大きくするとピンボケになってしまい、以前のようね写真拡大ができません。!! どうしたら正常に拡大されるんかいなー
ヘルプ ミー どなたかわかる方、教えてください。(弱り目・祟り目・あたりめ!状態だーす。)
(困ったことでやんす。)
↓
追記:ブログ仲間の皆々様よりのご教示により、写真はなんとか貼り付け完了しました。 御教示ありがとうね(^▽^)
7月11日 ザッツ寄り道小道迷い道 ザッツ:寄り道小道迷い道
新宿番外編 その2
いつものように、風の吹くまま気ままに行き当たりばったりの散策で
ござんす。今回は、日陰に隠れた超レアな所をご紹介いたします。
道の話
日本国の道の始まりは、現在「日本橋」起点である。
橋としての日本橋は、1603年に江戸幕府を開いた徳川家康の全国道路網整備計画に際して、
架けられたもので、1604年に五街道の基点とされたのだー。
「お江戸日本橋七つ発ち・・・・」と歌われしたしまれている天下の王道なのだあ~
五街道とは
東海道(国道1号線)・日光街道(国道4号線)・水戸街道(国道6号線)
・中山道(国道17号線)甲州街道(国道20号線)、と幾つもの国道の起点となっている。
南へ西へ北へと放射線状に全国へと続く一本の「道」なのです~~。
(このほか多くの二桁表示の国道多く走っていて、ほんとは上の五街道よりも現在は多くなっているかも。)
「日本橋」のイメージと云うと、浮世絵などで有名な歌川広重作「東海道五十三次之内 日本橋」の太鼓橋が皆さんの
頭にすぐに浮かぶ絵姿であろう。
(当時からの橋は、幾度もの火事や災害より消失したり壊れたりして、当時の橋の面影など何処を探してもないようです。ぐっひいぃ~~~)
現在の橋は、十九代目となる「日本橋」で、
1911年(明治44年)に石造り二連アーチ橋となり、今に至っています。
この「橋」に関係する資料が、
今回の散策でのお宝発見!!・・
・・我輩だけ浮かれておるかもー。(^~^)
大変貴重なる一品が、新宿御苑の片隅に、
申し訳なさそうに「東京みちの情報館」なる建物にあるのだあ~~~~、
しかしこの建物は、地図には載っていないのだー!!。なんでんねん!・・・・ですよね!!。
新宿御苑の片隅に隠れるようにありました。 情報館からみた周りの風景・・・・見た目も地味なところですよね。
まずは、日本橋の真ん中に埋め込まれている「日本国道路元標」である。
大きさや文字も全て同じであり、同型の一枚が「日本国道路元標」昼も夜も、道路の排気ガスや騒音に耐えて、
「ここが日本道路の始めですよ~」と健気に働いている。
ためしに、係りの方へ素朴な質問をしました。「いまある日本橋の元標がぬすまれたら、この展示品がご出馬なんですかね!。」
意味深な顔して係りの方の回答は「おそらく、これを取り付けるかも・・・・」との事でした。ふう~~ん目茶すごいやんけー!。
これが隠れた一品、もうひとつの「日本国道路元標」なんです。超レア物でごわす。縦横60cm位でした。
次なるお宝は、拓本です。「日本橋」の親柱から取った二枚の拓本は、これも超レアものなのでーす。
この文字の筆者は誰だと思いますカー・・・・・
なんと徳川十五代将軍であった「徳川慶喜公」の直筆の表札なんです。
どうゆういわれで、この文字を書かれたかは定かではありませんが、貴重なものであり・・・ふ~ん 参りましたでござる。殿~~~。
「 殿の直筆でござる。 一同頭が高い、ひかえおろう~~~~~~。」
そして、またまた、またの意外な・・・・・・
「日本橋」の重要文化財指定書です。
重要文化財に指定されたのがなーんとー、平成11年なんですよね。(以外でしょ)
天下の「日本橋」ですよ、平成11年の指定なんて最近ジャン・・・普通的にはもっと古くから指定されていると思いますよね!。
この二つの「親柱」かつては、川のと道路を行き交う人や馬車や車や船舶や小船など、静かに見守っていた「京橋」と「新橋」にあった
橋の両側にある「親柱」の一部を移設したものです。手前側の親柱が「新橋」で、奥のほうが「京橋」です。デザインなどかなり凝っていて
見ごたえありましたよ。いまでは、川も暗渠と化して橋も無くなり、当時の面影は、この親柱で偲ぶしかないようです。(情報館の中では
当時の橋の写真資料は保存されており、閲覧ができます。(明治は遠くなりにけり・・・・なんちゃってー。)
新橋の親柱 京橋の親柱
表札です 表札です。
今回の散策では。道路のお話が中心でした。この情報館には古い町並みの風景や地図、
江戸時代の水道網などの展示品や図解説明など江戸庶民の生活の一端を見る事ができました。
記事の都合上掲載できませんでしたが、結構、「隠れたお宝」まだまだ、どこで行き当たるかは
判りませんが、散策ストリートの楽しみとしていきますので、これからも、よーけー面倒見てやあー。
なんーてね。 また、どこかの道端でお会いいたしましょう。バアーイ(^~^)。
7月2日 一周年だあー なんだ、かんだと言いつつも
7月5日で
「おがちゃんブログ一周年」だあ~。
皆様に感謝の心だあ~。
一周年かー、いろいろありましたです。元は仙台に転勤になった友人のブログを覗き見していて、
「ほんじゃ、おいらも」との軽い乗りで創めたブログ生活でやんした。
よくも続いたものです・・・。
涙と笑い悲喜こもごもの物語は語りつくせません。(グッヒ~~~イ~~~)
いろいろな記事にコメントやお叱り励まし等々、ありがとうでやんす。
世知辛い世の中を、これからも地を這いながらしぶとく生きていきますんで、皆みな様、ヨロシクネ(^~^) |
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